①「お客様は神様です」。この言葉で、お客だから多少無茶な事をしてもいいだろう、お客に無茶な事をされても黙っているべきだとの考えがある。でも語源側の主張 http://t.co/rPFqjuDgri を読むと違うのよね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 6月 13
②『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払って澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。だからお客様は絶対者、神様なのです
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 6月 13
景況感の変化を受けて色々と小売業界でもこの類の話が持ち上がるようになってきた。モンスターカスタマー的な話とか、乱暴狼藉な振る舞いをするお客の事例とか、それでも我慢すべきではないかとの正論ぶった主張とか。そのような話の流れでよく出てくるのが、この三波春夫氏の「お客様は神様です」との言い回し。神様なんだから何をやっても文句はいえないだろ、とするもの。
でもこれってそのような使い方は実の所、誤解釈だったりする。語源側の説明でも上記の通り、お客側の姿勢のガイドラインでは無く、応じる側の姿勢を求めたものであり、さらにいえばお客の横柄さを肯定するものでもない。
③つまりお客は神だから逆らえない云々では無く、神に接するようにおごそかな、規律を正した、誠意ある姿勢を示さねばということ。お客の横柄さを容認するのでもなければ、売り手側の卑屈さを奨励したり我慢を強要するものでもない。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 6月 13
④見方を変えれば、売り手からはお客自身が考えている、信奉している神様の様式をお客は踏襲しているともとらえる事が出来る。お客は自らの神のイメージを第三者に披露している、その上でお客としての態度を取っている。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 6月 13
⑤お客側が「お客様は神様なのだから、我慢しろ、言うことを聞け」と横柄な態度をしてきたら、「その態度が、姿が、あなたの信奉する神の姿なのですか」と指摘されかねない。態度が良くないものであれば、それは自らの信奉する神への冒涜にもなりかねないのですね。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 6月 13
さらにいえば、お客サイドなり第三者が「お客様は神様なのだから、売り手側は黙ってろ」と主張してくるのなら、上記の通り「その態度はお客自身が考えている神様の有り様なのですか」と突っ込まれかねない。自分の信奉する神様は、お客にこのような態度を示していると、売り手や第三者にアピールしていることになる。それでいいのかな? そう突っ込まれたら、それでも傍若無人な態度を続ける人がどれだけいるだろうか。
本邦では、貧乏神や疫病神に対しては、棒で殴ったり石を投げつけて追い出すのが礼儀とされているわけですが、そう判断される行動を取った神様の方にその覚悟があるのか?という話ですね。
https://t.co/DMMpnz0UYm
— TETSUYA2754 (@TETSUYA2754) 2015, 6月 14
神は神でも貧乏神や疫病神はありがたられないのといっしょ。敬われる神様にはそれなりの品格が必要。https://t.co/lDvBoLQg3T
— つんつん (@toon_x_toon) 2015, 6月 14
こんな発想も可能。「商品を購入してくれたとしても、あなたの採る態度はまるで貧乏神、疫病神のようなもの。貴方が信奉する神はそのようなものなのですか?」と問われる可能性があることを忘れてはならない。......まぁ、それでもいいって人も中にはいるのだろうけど。
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