加齢による体力の減衰は、出張中に本読んだりゲームしたりする余裕を奪い、仕事の遅れと睡眠での回復に充てられる、という形で顕在化する。今年は特にひどかったなあ。読み終わりたかった本の半分も読めてない。
— Munechika Nishida (@mnishi41) 2015, 6月 21
先日の【デジタルの作業超過と身体の負担と変調と】とも、あるいは関係のある話かもしれないな、とふと思わされたお話。また先日まで本家サイトで高齢者周りの調査結果の精査を色々としていたので、納得がいく内容でもある。
ゲームに例えると分かりやすいんだけど、この加齢による体力の減退ってのは、体力やら気力やらさまざまな人のポテンシャル、あるいはエネルギー、ヒットポイントみたいなもの。朝起きると一定量が確保されているけれど、ご飯を食べたりテレビを観たり、通勤・通学したり仕事をしたり、それこそ横になってぐだぐだしているだけでも減っていく。身体を使わなくともストレスがたまるような事案が起きると、精神面から結構ざっくりと削られていく。そして夕方、夜になると随分とゲージが減って、その時点でさらに何か一仕事をする気力は無くなってしまう。
無論、日中に良いことがあったり、満足感を得られるような事柄に遭遇すれば、精神的に少しプラスされるけれど、あるいは昼寝とかをすれば体力的にも一部は回復するけれど、結局のところは良い環境でぐっすりと、十分な時間を寝なければ回復しない。で、回復の上限が、体力=ヒットポイントの上限、みたいな。あるいは自動車のガソリンタンク的な。
加齢による体力の減退は、このヒットポイントの上限が減る、と考えれば分かりやすい。色々と割り振れるはずの体力が、最初から上限値、朝起きた時に用意されている配分量が少なくなってきているので、やらねばならないことに割り振るので精いっぱいとなる。ついでにこれもしたい、余裕がある時にこれもやりたいってことまで、振り分ける余力が無くなる。しかもやらねばならないことに消費する体力も増えてくる。その効率の悪化を人は経験やツールでサポートするのだけど、ね。あと、先行する記事でも触れているけれど、お金とか。
「なんか忙しくなってきたな」「したいことがなかなかできなくなった」と思ったら、時間の配分なり割り切り方を考え直してみるのも一つの切り口かもしれない。上限値はそう簡単に変えられないし、放っておけばどんどん減っていくものだから。
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