史料がネット上のアーカイブに保存される利点は誰でもいつでも閲覧できるという積極的なものもあるけれども「盗まれない」という点も重要。例えば内令兵の零戦に関する一部の記事は20年以上前に破り取られているし、海軍機の兵装について記した貴重な一覧表は十年以上前に抜き取られて消えている。
— Bunzo (@Kominebunzo) 2015, 6月 22
ネット上にあると「壊れない」という利点も大きい。原本は毎年何百人もの閲覧に耐えられないし、青焼きは消える。しかも青図にトレーシングペーパーを当ててボールペンでなぞって図を持ち帰り同人誌を出すような行為をやられると覿面に破壊される。マニアの欲望が史料を壊すという例。
— Bunzo (@Kominebunzo) 2015, 6月 22
先日もちょいとばかり触れた、デジタル化された資料と、物理的存在のままの資料の違いを、今度はメリットの観点から見てみたら、という話。デジタルアーカイブ化されても有料公開とか一部のみ閲覧可能ってのも結構あるけれど、大よそハードルを超えれば閲覧することは可能となる。ところが物理的資料の場合は、そこまで足を運ぶか、実際に調達しなければならない。当たり前っちゃ当たり前なんだけど、デジタルの資料が流通しつつある昨今では、相対的に見て不便さを覚えるのも否めない。
また指摘にある通り、物理的な損失も避けられる。
例えば忘れられた貴重な史料が発見されたけれども写真類が乳剤面同士で張り付いていたとして、普通は安全に剥がすを方法を探るものだけれども、全写真を手で剥がそうとして悉く壊してしまったという話もある。一枚だけ見たかったのだ。そして失敗したのでもう一枚、と全てに及ぶ。それがマニアの心情。
— Bunzo (@Kominebunzo) 2015, 6月 22
盗難や破壊を実際に見たり聞いたりしていると「知りたい」という気持ちも実は綺麗なものではなくて程度の差こそあれ醜い欲望の一つと感じるようになる。壊れたら元に戻らないし、盗んだ史料は二度と日の目を見せられない。自分が死んだ後それが発見されることなど考えない。それが欲望というもの。
— Bunzo (@Kominebunzo) 2015, 6月 22
でも、未公開の貴重な史料が失われる最大の要因はマニアの欲望のような個人的なものではなく組織の論理。役に立たない古い記録を詰め込んだロッカーを上長が変わった途端に丸ごと廃棄するといった形で昔の記録はある日突然に消失してしまう。これで消えた史料は知るだけで膨大なもの。これからも続く。
— Bunzo (@Kominebunzo) 2015, 6月 22
これあるねえ>あっさり廃棄処分
元データはとっとけと。
あと、「知りたいと思ったから」で破壊してる事例も珍しく無い。
専門家にアドバイス求めると性急な行動は制止されるから、とド素人が独断でいじって資料痛めるんだよね。
— KGN (@KGN_works) 2015, 6月 23
さらに上記の通り、人のさまざまな欲望や無知による、本来ならば想定しがたい状況における資料の喪失もありうる。日本でもちょいと前の数年前、国を挙げて似たようなことを推し進めていた集団がいたからねえ。焚書坑儒に等しい所業。
一方、上記ではあまり語られていないけれど、デジタル化万歳、物理資料は滅びるべしって話でも無い。デジタルはデジタルで問題も多い。デジタルデータを保存しておく媒体も代替わりが激しく、そのメディアシフトの際の作業を怠ると、「この中にデータは入っているのだけと取り出せない」的な状態が起きうる。さらにはメディアそのものが劣化して、データが棄損してしまったという話も。クラウドデータ化したら漏えいしたり、吹き飛んだりするのは、結局物理的な資料とリスクの上では何ら変わりない。ただ、対処方法が取りやすいだけの話。
また容易に複写、編集が可能ってことは、改ざんされるリスクも高いことを意味する。コラージュされたり一部のみを抽出されたり、意図の違う資料として再保存され上書きされたり、さらには原典や由来などが分からず一部分だけが独り歩きしたり。その点では原本そのものを足し引きすることなくアーカイブしておいて、何かあったらそのマスターデータと比較できるような仕組みが必要なんだろうな。イメージとしては、そうだな、インターネットアーカイブ(Wayback Machine)みたいなものかな。
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