雨が降ってきても傘を差さない選択肢はあるけれど、「雨が降っても傘は差すな、傘屋の策謀だ」と勧めるのはおかしいと気が付こう

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当方も入院中は食事ごとにダース単位の薬を飲まされることもあったし、退院・自宅療養期も1日に野球チームが2軍編成まで出来そうなほどの薬を飲む必要がある時期も経験したので、薬の辛さは良くわかる。苦いとか飲みにくいってのは大人だからあまり気にしないんだけど、薬を飲むことで何となく体が浸食されていくような、妙な重圧感ってのを覚えてしまうんだよね。異物を身体に取り込む抵抗感に近いのかな。今では随分と薬の量も減ったけれど、その抵抗感・重圧感は少なからず覚えていることに違いは無いし、長期間服用することでの副作用への心配も、心の奥底にずっとへばりついている。

だから薬を飲まない、使わないというのも、個人の選択の一つではある。ただ、専門家が推挙した服用を止めるのは、相応のリスクが伴うことになる。そりゃ100%完全に、ベストな選択であるとの保証は誰にも出来ないし、そんな完璧なチョイスが出来るのは神様しかいない。ただ、その筋では素人、門外漢が、個々のケースを精査せずに一律に語る「薬は使うな」に、どこまで信ぴょう性があるのか。


記事のタイトルは極端な例だけど、指摘のあるような事例でもあるように、多分にケースバイケースの事象に対し一律にすべて否定するのは、対象者自身にとって良いこととは思えない。当方の本家サイトの記事の、医師の数の推移を流用する形で「精神科の薬は飲むな」とツイッターで語る人が出てくるたびに、似たようなことが思い起こされる。そして必ず何らかの陰謀説が付加されているんだよね。


世の中は概して逆張りの方が気軽に出来るしハードルも低く、当たりが出た時のレートも高い。危機感を煽れば、社会に抗う正義の志士みたいな感じで表現できればアピール力も大きいし、メディアもネタとしては光り輝く宝石の原石のようものに見えるに違いない。なぁに、何か問題が発生しても話題性が付加されるだけだし、社会問題にまで発展したら本人に責任を取らせて「我々は賛否両論を併記して、かつ当事者の意見を掲載しただけです」と、いつものごとく逃げを打てばいい。

先日本屋で見た限りでは、例の近藤某原作の漫画はまだ続いている。少なくとも出版社としては考えを改めるつもりは無いらしい。新聞や雑誌でもちらほらと出ているし、類似な香りのする人たちも露出が増えてきた。世の中の動きがもう少しエセ科学に厳しくならないと、例えば実際に被害を受けた人による裁判などが起こされないと、この流れはもう少し続くのだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月27日 06:18に書いた記事です。

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