薬を極力つかわないというのもいいと思うんだよ。
ただし薬をつかわないことで、生きづらさや苦痛を感じたままの人生を送ったり、薬をつかうべきときに使わないでより悪化してから悪い副作用の多い薬をたくさん使うのは本末転倒じゃないかなと思うのです。
— シトリィ (@sitry001) 2015, 6月 21
当方も入院中は食事ごとにダース単位の薬を飲まされることもあったし、退院・自宅療養期も1日に野球チームが2軍編成まで出来そうなほどの薬を飲む必要がある時期も経験したので、薬の辛さは良くわかる。苦いとか飲みにくいってのは大人だからあまり気にしないんだけど、薬を飲むことで何となく体が浸食されていくような、妙な重圧感ってのを覚えてしまうんだよね。異物を身体に取り込む抵抗感に近いのかな。今では随分と薬の量も減ったけれど、その抵抗感・重圧感は少なからず覚えていることに違いは無いし、長期間服用することでの副作用への心配も、心の奥底にずっとへばりついている。
だから薬を飲まない、使わないというのも、個人の選択の一つではある。ただ、専門家が推挙した服用を止めるのは、相応のリスクが伴うことになる。そりゃ100%完全に、ベストな選択であるとの保証は誰にも出来ないし、そんな完璧なチョイスが出来るのは神様しかいない。ただ、その筋では素人、門外漢が、個々のケースを精査せずに一律に語る「薬は使うな」に、どこまで信ぴょう性があるのか。
あの手の(疑似)医療的主張で毎度思うのは、あまりにも単純化・一般化されすぎってことなんですよね。日常のことでも、たとえば「晴れていたら傘を持たずに出掛けていい」は、ちょっとコンビニに行くだけならほぼ100%無問題でしょうけど、泊まりがけ旅行で翌日の予報が雨なら成り立たない。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
「抗癌剤を使うな」「精神科の薬は飲むな」とかそっち系の人はしきりに言いますが、「癌患者」とか「投薬されてる精神疾患患者」ってのは実に巨大な括りで、様々な事例があるわけです。中には実際に薬を使わない方がいい人だっていますが、医者がその判断をする時って細かい部分を色々見てるんですよ。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
もちろん、医者も技能や知識の差はありますし、医学の限界だってあるから、細かいものを見た上での判断が常に正しいと言うつもりはないです。ただ、何も付帯条件を見ないでひとまとめに「こういうのはこうだ!」ってのが、細かい条件を考慮した上での判断より正しい可能性は極めて低いわけで。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
記事のタイトルは極端な例だけど、指摘のあるような事例でもあるように、多分にケースバイケースの事象に対し一律にすべて否定するのは、対象者自身にとって良いこととは思えない。当方の本家サイトの記事の、医師の数の推移を流用する形で「精神科の薬は飲むな」とツイッターで語る人が出てくるたびに、似たようなことが思い起こされる。そして必ず何らかの陰謀説が付加されているんだよね。
さらに、あの手の人たちって「逆張り」が大好きなんですよ。ほとんどの人は普通の対応を受けてるんで、「あなたの受けている『普通』は間違ってる!」ってやるのが一番大勢の耳目を集める。真に受けるのが全体の1%でも、100人のうち1%と10万人のうち1%じゃ数が全く違う。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
過度の一般化も「晴れてるなら傘を持たなくていいです」なら、まぁ一部の人は翌日雨に降られたりして濡れますが、大半は大丈夫だから問題は小さい。逆張りでも「晴れてても傘を持ちましょう」なら満遍なく手間が増えるだけでやはり問題は小さい。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
で、近藤某あたりの「がん放置論」は逆張りでも「雨の時は傘を持たずに出ろ」クラスなんです。「雷が傘に落ちて死んだ事例」とか「玄関を出る前に雨が止んだ事例」とか、それ自体は事実であるものを並べて正当化しても、真に受けたらほとんどの人は本来濡れなくて済む場面でずぶ濡れになるわけ。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
「雨が降ってるのにそのまま外に出たら濡れる」は誰でも経験してて知ってるので、「雨の時は傘を持つな」を真に受けるのは一部の変な人だけでしょう。でも医学知識は一般の人は判断できないので、「癌は放置しろ」なんて同レベルに荒唐無稽なものがそこそこ受け入れられちゃうんですよね。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
もちろん、本人が「今日は雨に濡れたい気分だ」と言ってるとか、ドッカンドッカン目の前に落雷しまくってるとか、風が強すぎて傘が役に立たないとか、個別の特殊な事例では一般常識と違った手法が最良解のこともありえます。でもそれはやはり細かい状況を見ないとダメなんですよ。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
ということで、とりあえず「大雑把な一般論で大きな行為や決断を促す類いの言説や書籍など」からは一歩引いて対応するのを推奨しますし、特にそれが「一般常識を覆す」みたいなやつなら、絶対に鵜呑みにすべきではないと思います。強い言葉あまりは好みじゃないですが、本当に殺されかねませんから。
— PKA (@PKAnzug) 2015, 6月 26
世の中は概して逆張りの方が気軽に出来るしハードルも低く、当たりが出た時のレートも高い。危機感を煽れば、社会に抗う正義の志士みたいな感じで表現できればアピール力も大きいし、メディアもネタとしては光り輝く宝石の原石のようものに見えるに違いない。なぁに、何か問題が発生しても話題性が付加されるだけだし、社会問題にまで発展したら本人に責任を取らせて「我々は賛否両論を併記して、かつ当事者の意見を掲載しただけです」と、いつものごとく逃げを打てばいい。
先日本屋で見た限りでは、例の近藤某原作の漫画はまだ続いている。少なくとも出版社としては考えを改めるつもりは無いらしい。新聞や雑誌でもちらほらと出ているし、類似な香りのする人たちも露出が増えてきた。世の中の動きがもう少しエセ科学に厳しくならないと、例えば実際に被害を受けた人による裁判などが起こされないと、この流れはもう少し続くのだろうな。
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