マッドマックス最新作の面白さと、人生におけるつじつまの合う・合わない度合いと

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多分に妙なノリとネタ的な楽しみ方と徹夜明けの会議における奇妙なテンションの状況に近いものがあると思うのだけど、「マッドマックス」の最新作の評判が良い。良いといっても素直な評価というよりは、何か奇妙で面白いものに遭遇した時に、友達を呼んで一緒に見てみようぜ、的な雰囲気。

で、大よその感想として挙げられるが、上にもあるような割り切りすぎるまでのご都合主義。前世紀のアニメや漫画などではよく見られた、ノリが優先して細かい部分の矛盾やおかしなところが散在しているという感じ。例えが微妙だけど、初代のアニメ版「宇宙戦艦ヤマト」的な(漫画版のキン肉マンでもいいけれど)。

好き嫌いは人それぞれなのでどちらもアリなのだけど、見方を変えればそのご都合主義をもカバーしきれるほどの魅力にあふれているとの解釈もできる。


で、話は転じてリアルな人生を考え直してみると、つじつまの合わない、例えるならばスゴロクで必ず毎回3しか進まないようなものでは無く、毎回進むコマ数が1から6まで変化を遂げる、さらには盤上からサイコロを落としてしまいペナルティで一回休みまであるような、そんなランダム的要素ばかりの、運や偶然が盛りだくさんの流れの中で進んでいるってのは、結構的を射ている気がする。

振り返れば無数の選択肢があり、その分岐点で別の方向を進んでいれば、必ず違った結果が出ているはずだけど、それがどうなるかは分からないし、その選択肢で現状に至るものを選んだのは、多分にその時その時の運や偶然によるもの。努力や備えはその確率を少しでも自分の思う通りに動かすための修正値を与えているに過ぎない。学生の時にテストで良い点を取れば(取るように勉強すれば)、それだけ人生の、自分の好きなものがあるかもしれない選択肢が、増えていく、みたいな。

ストーリーテラーとして、偶然ばかりが続くと面白くもなんともないし、ハチャメチャなものになり、それ自身が楽しいもので無い限りは、別の面で面白さを演出する必要がある。あるいは逆で、その「別の面での面白さ」のために、ご都合主義を是認してしまうのかもしれない。

人の人生もあるいは、そんな部分もあるのかもしれないな、と思うと、今現在が不遇だったとしても、今後に続く何かの偶然のための前説みたいなものだと考えれば、少しは気が休まるような気がする。蒔いた種がいつ芽を出してくるか分からない。運や偶然で人生が成り立つならば、それらが発動するためには、やはり努力を続けて蓄積し、そのサイコロ振りを繰り返す必要があるだろう。

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このページは、不破雷蔵が2015年6月27日 06:51に書いた記事です。

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