昔は軍艦のプラモデルばかり作っていたが「正しくつくらねば!」という責任感を負うのが嫌になってきたので、最近はSFプラモを大雑把に作るようにしている。
SFプラモもモデルがある以上、それなりの厳密さが求められるのだろうが、架空のものだから?という言い訳が常に用意されているため気楽。
— 三一十四四二三 (@31104423) 2015, 6月 3
高齢層の数的増加とエンタメに親しんできた世代の高齢化に伴い、セカンドライフにおいての楽しみも多種多様なものとなってきた。まぁ、中堅層の趣味趣向が「子供っぽい」と指摘されている面がある要素のものが出ているのと同じだね。で、その中の一つ、模型作り、厳密にはプラモ作りに関するなるほど感な話。
現物が存在する・していたものになると、どうしても精密さが求められる。こだわりを見せたくなる。しかしSFなりアニメが元ネタになると、元々創作物であるのだから、自由な発想でもいいじゃん的な領域、許容度は大きくなる。
全然違う!こんなの本物のエンタープライズとは似ても似つかぬデタラメだ!と批判されたが、本物なんか無いんだからな。これでいいのだ。という気楽さ。 pic.twitter.com/YVo9vnoDXU
— 三一十四四二三 (@31104423) 2015, 6月 3
細かいパーツを組むプラモデルは目が弱くなると辛いのだが、出来栄えに対する評価も甘くなるので趣味として継続することができる。聴力が弱ると逆にオーディオが楽しくなるというのも同じ。 pic.twitter.com/L8Qxt8TKL2
— 三一十四四二三 (@31104423) 2015, 6月 4
確かに他人からも一定のツッコミはあるかもしれない。でもそれはリアルな対象の模型と比べれば弱いはず。
それに、指摘されて「ああっ」と思ったのがこの点。身体的な衰えが出てくると、どうしても細かい部分の作成が難儀してしまう。でも自分自身が見る限りにおいては、やはりその辺がある程度曖昧なものとなるので、結局満足してしまう事になる。作る技量は落ちるけど、出来上がる作品への評価の基準も甘くなるので、相対的には自分にとっては「良い出来」が維持される。なーるほどね。これは素晴らしい発想だ。
覚えておいて損はないかもしれないな、この考え方は。
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