学者1万人超が抗議声明=強行採決「民主主義の破壊」―東京(時事通信) - Yahoo!ニュース http://t.co/1Rg7rC4KcB
民主主義の破壊だーという民主主義の破壊、forced to workは第二の河野談話だーという第二の河野談話。奴らの手口はだいたい一緒
— みさぎ和@3日目H-55b (@misaginag) 2015, 7月 20
そいつがルパンだー!現象?
大体火を付け回ってる奴が犯人だよな
— みさぎ和@3日目H-55b (@misaginag) 2015, 7月 20
安全保障関連法案に反対する学者の会 http://t.co/eNg12Gsy0m 賛同者一覧あり
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 20
1万人をゆうに超える「学者」の反対があっても関連法案は成立するのでしょうが、それにより「学問の権威の意見を軽視しても良い」との風潮姿勢が認識されるとの懸念があります。
一方、内容に直接関係する専門家の中でも専門分野を逸脱した政治的策動があることや、さらには1万人以上の「学者」の多分は安保や憲法の専門外であり、それらの人が自分野の学問の権威との肩書を利用したことで、「専門家が専門外で、専門家の権威を使って同様の優遇性を求めると、自身の専門分野でも信用を損なってしまう」との危惧もあります。
意志表現の自由は自由奔放では無く、相応の責任と共に。震災後に肩書を他分野で濫用し、自分野の信頼性も失った「専門家」は少なくありません。
先日の【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】を容易に想起させるような事案が生じているということで、色々と調べてコメントもしたのが上記の記事と、その解説コメント。まぁ、文字数に制限があるので多分に端折った形になってはいるけど。
先程サイトを見た限りでは、総計1万1604人で大体1万2000人近く。ただ、発起人の中にそうとうアレなことで知られている人もカウントできるし、名前をずらりと挙げた人の多分は「今件に絡んで、単なる一般民間人とどこが違うの」的な感触もある。ノリで名前を挙げたとか、中身についてろくすっぽ精査せずに入力した、そんな感じがする......というか、そうでも考えないと、よほど危うい行動をこれだけ多数の「学者」先生がなされていることに、絶望感を覚えてしまう。
Facebookの書込みに「いいね!」を押した程度の感覚でやってるのかもしれないけど、全然意味合いは違うのだよね。ネットリテラシーのレベルから学んでもらう必要すらあるのかもしれない。「だってそんなこと思ってなかった」「詳しく調べるのが面倒くさくて」。あなた方は自分達の研究分野で同じことを言えるのですか?
ノーベル賞学者の益川敏英氏ですら、安保法案成立で有事になれば日本は戦争出来ると安倍(呼び捨て)が言っていたとかコメントしてたけど、有事になったときに戦争出来るなんて、誰も言っていないだろw。やはりイデオロギーは人を馬鹿にするだけなのだと実感する次第である。
— ニャントロ大魔神 (@garagononn) 2015, 7月 20
いや、天文学者とか物理学者とかの安保や憲法専門外の学者が"学問的権威"という形で「学者」という肩書を使ったわけだから、こんなもん自業自得でしょう。 https://t.co/7gkJZJEHq6
— sorekaradoushit (@sorekaradoushit) 2015, 7月 20
これまでしっかりと「勉強」「研究」してきた人がいるのかといった検証の良い材料になりますし、デモの参加云々までみると、色々とナニな感もありますし、人数を見ると、巨額の宝くじが当たった途端に現れる、見た事も無い親戚や恩人が想起されます。https://t.co/U9wEBJRdnG
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 20
>RT
「学者」つっても一歩専門から外れたらただのおっさんおばさんだからなぁ。むしろ、専門外で変なことを言うと、専門分野でも信用を落としかねない。自然科学の研究者ならなおさら自分の守備範囲外のことは素直に「分からない」と言うべきなんじゃないの?
— 空き地 (@akichi_3kan4on) 2015, 7月 20
>RT
「分を弁える」ってのは大事ですよねぇ。学問的権威だかなんだか知らないが、政治に対する意思表明という意味では一般人と同じ「一人一票」。むしろ、"たかが"1万人の意見で、数千万の票に裏打ちされた政府与党の進める政策が止められてしまう方が問題アリ。
— 空き地 (@akichi_3kan4on) 2015, 7月 20
>RTs
説明が足りない!説明しろ!→(説明する)→なんだその説明は!?バカにしてるのか!?
理解する気がないヤツが取る王道パターンw
— 空き地 (@akichi_3kan4on) 2015, 7月 20
これぞまさに、学者の権威を笠に着て、選挙という民主主義の結果を否定する数の暴力。学者を名乗るなら、数に物を言わせるのではなく、言葉と議論で勝負しろ。/ 学者1万人超が抗議声明=強行採決「民主主義の破壊」―東京 http://t.co/t1qkn10ipD
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2015, 7月 20
最近、学者や芸能人、文化人、ジャーナリストに、「我々は一般庶民の上に立つ優れた人間だ」と勘違いしてるかの猿が増えて、普通に気持ちが悪い。反吐が出る。こういう連中が全体主義を生む。
— 菊池雅志 (@MasashiKikuchi) 2015, 7月 20
確かに研究者が自分の専門以外の分野に対して発言した場合、それにどういう意味があるのだ、という問いかけはあって良いと思う。勿論、発言してはならない、という事にはならないけど、例えば、労働組合や作家協会のそれと同じだ、という自覚は必要だろう。
— Kan Kimura (on DL) (@kankimura) 2015, 7月 21
学者として政治運動するって時点で、「学者としての権威ではなくたった一人の一票しか持たない人間と同列の力しか持つべきではない」と思うのよね。芸能人にしろ漫画家にしろ。それを、「学者がたくさん反対してるんだから間違ってる」と言われたら、うるせえ一人一票の民主主義だ、とは言いたくなる。
— 鐘の音@C88日曜ム40b10th最高 (@kanenooto7248) 2015, 7月 21
やや繰り返しの感は出てしまうのだけど、自らの肩書付きで、つまり権威を利用した上での署名に参加したことは、相応の責任を負うことでもある事実をどれだけの学者先生がご承知なのか、知りたい所ではある。ツイッターのプロフィールにメディア関係者の肩書を記し、普段はその関連話を色々と行って興味関心をフォロワーに引かせその権威を活用し、何か問題が生じたら「無関係です」と語るような、美味しい所取りをするつもりかもしれないけれど。
肩書を利用したことで、「専門家が専門外で、専門家の権威を使って同様の優遇性を求めると、自身の専門分野でも信用を損なってしまう」との危惧がある。意志表現の自由は自由奔放では無く、相応の責任と共に生じるもの。震災後に肩書を他分野で濫用し、自分野の信頼性も失った「専門家」は少なくないんだよね。
この人達に「御用学者」みたいな呼称を与えたいのだけど何がいいですかね? https://t.co/vWowsVJJL9
— Masayoshi Nakamura (@masayang) 2015, 7月 21
私はねぇ。違憲だ違憲だと騒いでるだけの弁護士資格を持ってる人は信用しない事にしたの。使命に法制度の改善が歌われてるから。
違憲だー!って騒ぐだけって法制度の改善になんら寄与せず使命も果たせず失格なんですよ。それを職務権利を与える日弁連が何もしてないのも糞以下だと思ってるんで。
— knob@一聞は0.01見にしかず (@knobonzo) 2015, 7月 21
安保反対派の自称憲法研究家の学者達というのは、研究結果としての見解の発表をしてないよな。アレはただの個人のイデオロギーの主張。肩書きが猛烈に軽くなる浅はかは行為だと思う。
— さまよえる趣味人 (@comicmadman) 2015, 7月 21
まぁ、こんな話も出てくるわけだ。
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