最近、太宰治の高校時代のノートが文学館で一般公開されたけど本当こう云うのやめてあげて。わたしなら墓から蘇るよ。 pic.twitter.com/2eMhmrpPbN
— (@_h_e_r_o_i_n_) 2015, 6月 28
各方面の歴史に名を残すような偉人になると、博物館を建てられたり研究者によって色々と生い立ちを精査されたりして、その人が有名になった事象以前の成り立ちがサルベージされることになる。伝記が書かれるほどになれば、当然生まれた時から亡くなるまでその生涯が公衆の面前に晒されることも多い。
当事者が亡くなっているのだから別に良いのでは、との意見もあるのだろうけど、遺族や関係者が良い顔をするか否かは別問題であるし、当事者自身もあの世でもにょっているかもしれない。また、相応の名声を得た人が、自分も将来......という事を考えはじめ、その類の黒歴史を焼却処分してしまう可能性もある。
研究者や興味がある人にはその人となりを知るのに良い資料に違いないけれど、この類のものの公開はどうなんだろうなあ、という気持ちにもさせられる。まさにデ・ノートみたい。死人に口なし、とでもいうのかな。
やめて差し上げて!!!!
— 成原とんみ/C88金H34b (@tonmi_n) 2015, 7月 1
こんなことされたらバズーカー装備して改造車に乗って地獄から舞い戻ってくるわ
— 成原とんみ/C88金H34b (@tonmi_n) 2015, 7月 1
(死者の召喚魔法の媒介は該当者の黒歴史を綴ったノートや書類という説発生) https://t.co/Qi0rhTES1V
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 1
まぁ実際に死者がよみがえるのならいくらでもこの類の黒歴史を暴露するのだけど、それはそれで召喚魔法の媒介みたいな感じだな、という感もある。
最初のツイートには「有意義だから問題は無い」との意見もあった。それもそれで一理ある。ただ趣味の上では良いモノとは言えないなとの感想を持たざるを得ないのも事実ではある。
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