「事故や事件に巻き込まれて死んだ時に、自分や家族に関する情報をいっさい報道されない権利」がほしい

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これも先日の新幹線事案に絡んだ話、となるのかな。巻き添えを食らって亡くなられた方に関して、Facebookでの言及が暴露されたり、関係者に山ほどの取材がなされたりしたこと、関係者自身は取材を断る旨を公知していたことなどから、以前の【御嶽山報道、「遺族の人となりの紹介」って必要なの?】でも触れた、「一般に事件の事を深く刻んでもらうためには背景まで知ってもらわねばならない。人の心に刻み込むには物語が必要だ」的な報道側の主張が改めて体現化された次第。

これ、当事者はもちろんだけど、他の人もあまりいい気持ちにはならないんじゃないかな。確かに刻まれる人もいるだろうけど、同時に後味の悪さ、自分自身にもありうることに対する恐怖、言葉・情報の暴力への恐れってのがじわりと来る。

情報が確定できれば警察経由で当事者への連絡はいくだろうけれど、さほど深い縁があったわけじゃない人にも知ってもらうためには、本名の公知は報道として必要だろう(或いは関係者から直に必要な人に情報を流せばよいのであり、その公知すら必要ないのかもしれない)。昨今ではネット社会で名前だけでも検索をたどって情報が暴露されてしまう可能性はあるけれど、その時は個別ベースで必要な「措置」を取れば良い。既存メディアと同じような不要な情報の拡散をすれば、同じような「措置」がなされるべきだとの認識は欠かせない。

一方で、それ以上の人となりなどの情報の公開は、報道媒体側の事情や思惑によるものでしかない。自分達がそう思うから、それが社会正義だと認識しているから、当事者自身がどのような判断をしていようが、自分達の方の意志の方が重要に決まっている。それに以前からやっていたことではあるし、どこが悪いんだ? 的な。

それって典型的な、悪質な方面での既得権益で、その濫用でしかないよね。

御嶽山の時にも一部の記者が誇らしげにそのような類の使命を自分達は持っているから云々って主張していたけれど、結局その「虚栄の使命」を主張しなければ、自らの行動の正当性を確保できない状態なのかもしれないな。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月 3日 07:36に書いた記事です。

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