それだと既存のジャーナリズムのほぼ全てが「商売目的」になりますが QT @hashingi: @Rogue_Monk @azukiglg @orijox ジャーナリズムは憲法にある言論の自由の実践者なのです。商売目的の人は情報流通業と堕し、ジャーナリズムと無縁の権力の御用商人とな
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
先の新幹線事案周りの報道から、改めて「報道ってなに?」「ジャーナリズム、ジャーナリストって今の環境ではどのような立ち位置にあるべきなの」という感じの話が色々と提起されている。まぁ、報道側の状況そのものがますます危ういものとなっているので、問題視されるハードルがどんどん低くなって、すぐにぼろが出る感じ。
今件ではまず、ジャーナリストを自称する方との話の中で、あくまでもその方の主張ではあるのだけど、ジャーナリズムとはこうあるべきだとの話と、それは筋違いではないかとの主張のやりとり。見ている限りでは前者、ジャーナリストを自称する方の考えが旧態依然という認識でしかない。昔はそれでも通用したのかもしれないけれど、時代は流れているのだよ、みたいな。というか、自称にせよ他称にせよ、「ジャーナリスト」なるものがそれほどまでに特権階級的なもので自由奔放であってよいなど、いつ決まったのかな。
「多数派にケチを付けるのがジャーナリズム」だという主張は承りました QT @hashingi: @azukiglg 決めつけて考えない。多数派ももとは少数派。過ちを批判され、少数派に転落する。権力を恐れず、真実を伝えることが重要。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
でも、多数派にケチを付けてばかりいるから少数派にしか売れず、そしてジワジワ売上落としてるんじゃないのかな。新聞社って。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
河信基氏の時代はそれでもジャーナリストが英雄でいられたのかもしれないけど、今はそういうのを英雄のように受け容れる読者ばかりじゃなくなってきてるからなあ。 QT @NopUC:以前は、それが万人に受けてたので、特化、先鋭化が進み過ぎてもう訳が分からなくなってる感(´?ω?` )
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
正直、真実なんか要らないから事実だけ正確に列挙してくれればいいんですけど QT @hashingi: @Rogue_Monk @azukiglg @orijox 極論に走らない。真実を伝える為に会社を維持し、そのために広告も得る。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
「EM菌」とか「江戸しぐさ」とか「水からの伝言」とか「政党の意見広告」とか載せてる新聞は読まなくていいですねヽ(´∇`)ノ QT @hashingi: @Rogue_Monk @azukiglg @orijox 政治家が不正蓄財したりといった、政府や権力が隠している事事を伝える記
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
「とりあえず、政権が言う事はなんでも反対する」というのがジャーナリズムだと承りました QT @hashingi: @pogemutaBN @azukiglg 政権をとれば権力者。暴走しないように批判するのは当然のこと。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
「政権の言うことを検証するのがジャーナリズム」だと思ってたけど、検証はすっ飛ばして「疑って批判すりゃジャーナリズム」っていうお手軽ジャーナリズムばかりが跋扈してるから、ジャーナリズムは信用を失ったんだと思っています。 QT @hashingi: @pogemutaBN
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
そうだというなら、現状のジャーナリストの大多数は、【批判も満足にできてない】 QT @hashingi: @azukiglg @pogemutaBN 批判と検証はほとんど同義(^^)
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
正直なとこ、今のジャーナリズムは自浄作用がなく、ジャーナリズム自身の暴走を抑制する機能がなく、「報道の自由」「表現の自由」の過剰解釈を、国民が掣肘する手順もないわけで、ジャーナリズムの暴走を批判する「圧力」を、我々は何らかの方法で確保しないといけない気はしますね。 QT
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
政権を取っても議員の任期が来れば権力を喪失し、選挙で再度資格を問われる政治家に比べ、ジャーナリズムという権力はその資格を問うという仕組みがないわけで、これは「第四の権力の肥大」を止める術がないってことと同じなんですよね QT @hashingi: @pogemutaBN
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
最高裁判事ですら罷免の機会が用意されてるのに、ジャーナリズムを審問する機会が用意されないまま、政治権力を掣肘する力を野放しというのは、それはそれで省みる必要があるんじゃないですかねえ QT @hashingi: @pogemutaBN @azukiglg 政権をとれば権力者。暴走
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
正直なとこ、最近「ジャーナリズム」「与党批判」と「揚げ足取り」の区別が非常に付きにくくなってるとは思ってます。 QT @pogemutaBN: @hashingi @azukiglg 普通は「批判」というのは物事を検討・評価し、誤りや欠点を指摘することなので、仮に何の欠点もない政
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
河信基氏の時代はそれでもジャーナリストが英雄でいられたのかもしれないけど、今はそういうのを英雄のように受け容れる読者ばかりじゃなくなってきてるからなあ。 QT @NopUC:以前は、それが万人に受けてたので、特化、先鋭化が進み過ぎてもう訳が分からなくなってる感(´?ω?` )
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
まぁざっと読む限りにおいては、くだんのジャーナリストな方はかつての時代のスタイルから抜けられていない、現状の変化を認められていない感じがする。進化しすぎで環境の変化に適応できなくなった(という説が現在では良く知られている)恐竜みたいな。
【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】で覚えた香りとまったく同じ。なんか巨悪があって、それに対抗していればヒーロー扱いされて、そのうちにそれが正義だと思い込んでしまう。先鋭化との表現はあったけれど、ある意味進化の袋小路状態な感もある。
正直、「最も安上がりな対策」は、乗客の9割以上が持ってるスマホを活用した、クラウド監視システムじゃないですかね QT @sasaLRT: @azukiglg よろしければ、参考にご覧下さい。
【沿線革命049】「東海道新幹線焼身自殺による火災事故 鉄道テロ対策が急務だ!」
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
新幹線の事件に限らず、昨今はジャーナリストwが現場に到達するよりも先に、現場に居合わせた一般人のスマホから速報が拡散されるケースは多く。
「不審人物の通報アプリ」をスマホにぶっ込んでおけば、それだけで効果は上がる気がする。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
しかし、「ジャーナリズムの暴走」を政治が止めるのがいけないんだとしたら、誰がどのような根拠と執行根拠でジャーナリズムの暴走を止めるんだろか?
現状では、「お手盛りの反省会」以上の制止はできてないし、刑事犯にならない場合、訴追もされないし。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
ジャーナリズムの暴走によって不利益が生じたものについて民事訴訟を起こす、みたいなのもだいたいもやもやとして終わってるし、つまりは現状で、ジャーナリズムが暴走したときに、それを止める手段がない。
というかもう暴走してるけど、ジャーナリスト自身は「自分達は暴走してるとは露も思ってない
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
自粛や自制によってしか暴走を止められないジャーナリズムを、その当事者が「自粛や自制の必要がない」と野放図に放置してたら、そりゃ暴走も止まらないよね。暴走してる自覚をジャーナリズム自身は持てないわけだしなあ。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
「表現の自由、報道の自由を政治が圧力を掛けて止めるのは良くない」という主張そのものは理解しないでもない。モノカキ屋さんである以上、気持ちは分かる。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
なので、「競合他社による被告社の検証と、最下位社の事業停止制」は実装すべきだね。
朝日新聞がやらかしたら、その他の新聞社がそれを検証する。
読売新聞がやらかしたら、同じように他の新聞社がそれを検証する。
最下位の新聞社は社内改革のため事業停止処分。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
仮に相互にお手盛りをしたとしても、必ず最下位は事業停止になる。
カルテルによって弱いところが狙い打ちされたとしても、二期連続最下位にはならない。
まあ、二社が交互に事業停止、ってのは起きるかもしれないw
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
朝日新聞の慰安婦報道問題なんかでも、朝日自身が検証するんじゃなくて、読売、毎日、産経、日経、その他の新聞社が「朝日の記事を検証」するようにすりゃよい。その記事は自社新聞に掲載すりゃよい。そういうのを、新聞社同士でやりゃよいと思うの。
新聞社蠱毒。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
ともあれ、「正義のために、不正確になる」時点で、既にそれジャーナリズムとか報道とか、健全な民主主義のための役には立ってないと思う。
我々が欲しいのは「記者にとっての真実」でなく「正確な事実」なので。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
もう正確さとかがジャーナリズムに期待されてないんじゃないですかねえ。「正義の怒りを爆発させる大義名分を供給する装置」としてしか期待されてない。 QT @yamataka1113: 「正確さ」はマスコミにとっての商品ではなくなったんでしょうかね @azukiglg
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
「正義の怒り」は我を忘れて暴れ回っても、正義だから許される、と。ジャーナリズムがそれを体現してるから、読者もそれを真似る。 QT @yamataka1113: 「正確さ」はマスコミにとっての商品ではなくなったんでしょうかね @azukiglg
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
だいたいそれを問うと多くのジャーナリストは「正義は自分の心の中に在る」ってJ-POPかアニメの主題歌みたいなこと言い出しますしねえ QT @yamataka1113: @azukiglg その「正義」が何によって「正義」足り得てるのか、その「正義」の保証人って誰なんでしょうね。「
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
1)マスコミ各社が相互監視相互検証で不正確な記事を出すライバルを掣肘しあう報道蠱毒システム
2)報道内容はそのままに「中立」を返上させ、どこに肩入れしているかを明示させる
3)政党各党がそれぞれ独自の報道機関を保有する
4)政府による圧力
一番マシなのはどれか?
QT
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
http://t.co/v54PEvg6zp QT @daisuke_n: @azukiglg 一番マズイのはその結果政治による介入があった時に国民が拍手喝采した時だよなぁと思っています
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
ただまー、「政府が圧力を掛けるなどもってのほか」っていうのはわかるんだけど、「政府=与党=国民の多数派」でもあるわけで。
ジャーナリズムが常に「国民の多数派の敵であり続ける」のだとしたら、(少数派のみの味方なのだとしたら)多数派の味方をするジャーナリズムも必要なんじゃね?
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
国民=有権者の多数派は常に不正確な情報しか与えられず、常に批判にのみ晒されるのがジャーナリストの言う「健全な状態」なんだとすると、「多数派の支持を集めた政権与党が、多数派の利益になる政治を行う」っていう民主主義そのものが、否定されるべきってなる気がするけどなあ。
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
ですね。「政府」ではない。 QT @nasushalom: @azukiglg そもそも今回は政府は圧力かけてないんですけどね
— 入門者のための実話怪談【怪決】AZUKI (@azukiglg) 2015, 7月 2
.@azukiglg @hashingi 批判する側はされる側よりずっと勉強しなければなりません。しかし自らの無知を棚に上げ、酷い場合は読者の無知を利用し、的外れな批判を繰り返す人が多いのが自称ジャーナリストの特徴だと感じます。それでも信者を獲得すればお金になるのはカルトと同じ。
— ひまわり (@powerpc970) 2015, 7月 2
で、ここからが新聞に限った話ではあるのだけど、暴走に絡んだ改正案的なお話。【「自由」と「自由奔放」は別物、そして「歯止めなき力は正邪の別なく暴走する」】とは自由なんちゃら協会で取り上げた言い回しだけど、あれは結局新聞などの従来報道機関の超先鋭化されたものが体現化した雰囲気が強い。彼ら自身はそれら従来型の報道からの脱却をうたっていたのだけど、実体はまったく逆だったという、歴史的皮肉な結果だったわけだ。ごっこ遊びが問題を露呈化させたような。
提案の中身としては、まぁぶっちゃけ「蠱毒」。すでにそれが行われてもおかしくない環境ではあるのだけど、なあなあまあまあ的なのが実態。よく新聞で「警察内部の犯行は甘くみられる」等と言った形でお仲間意識として揶揄して糾弾しているけれど、当の新聞社、報道関係である程度まとまった集団同士で構成されている状況において、まったく同じことをやっているのだからお話にならない。
新聞にしても商業媒体だから「嫌なら買わなきゃいい」というのも一つの手法ではあるのだけど、その結果として状況が実体化するまでに及ぶであろう影響を見て見ぬふりをするってのも問題な気がするし、例えば沖縄の事例のようにジャーナリズムと機関紙行動が何ら変わらない状況になっているのもある。報道、新聞、ジャーナリストが三つ葉葵をつけた印籠的なものとして権威を振り回している雰囲気が強いのだよね。今はもう江戸幕府は無いのに、という感じなんだけどな。
自由競争の結果として任せれば良い、それは一理ある。ただその存続環境において、「報道だから」との特権を利用して立ち位置を維持しているのであるのなら、それ必要なだけの義務的な要件を満たす必要がある。つまり、振りかざしているその「報道」の葵の紋は果たして価値のあるものなのか、またそれを有するだけの資格を現在持ち合わせているのか、ということなんだよね。個々の質的に、そして環境全体から見て「不特定多数に対して正しい情報発信を行う」という特殊技能を持ち合わせている数少ない存在だからこそ、優遇されているのかとの観点において。
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