古館って、百歩譲って頭の回転が速くて当意即妙な話術があるんだとしても、ものっそい勢いて回ってる頭の性能が最低で、その話術から出てくる言葉は神経細胞の痙攣みたいなものに過ぎないんだな。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
古舘伊知郎タイプのテレビ芸人や文化人に共通しているのは、報道している物事の本質を理解して核心を捉えたコメンタリーをするのではなく、「この場面でどんな感じのコメントをしたらキマるか」的な頭悪い方向の大向こうウケを狙うところだと思う。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
これはテレビに限らず新聞や雑誌記事に登場する、専門家っぽい人による補助解説的な文面の中でも、専門家っぽい肩書はしているけれど実のところはあまり見識が無い、あるいはその方面では名を知られているかもしれないけれど、特定の方面にのみ偏った情報を有しているので解説には適さない人にも当てはまる話。
テレビの報道番組的なものがエンタメ化して、しかも質が下がってしまった、報道の意味を成さなくなったのはニュースステーション(今の報道ステーション)がさきがけでありトリガーだったとは何度となく触れているけれど、そこで行われたのがこの「ニュースのより深い所、詳しい話、補足情報としてのコメント」ではなく、「その場でウケそうな話、受けが狙える内容」を語る事。煽情でもいいし、視聴者の義憤感を盛り立て、納得させ、同意させれば良い。アメリカのホームドラマでよく見られる、どこからともなく聞こえてくる観客の笑い声や拍手、そんなものと同じレベル。
「安全神話の崩壊」とかくっさいジャーゴン使うマスコミ人の感覚も同じなんですよ。「安全神話」とか「安全」とか「神話」とか「崩壊」とか何も考えていないの。何故そんなことを言うのかと謂ったら、ジャーゴンとして確立されたプロっぽいセリフを言えばキマるとか頭悪いこと考えているんですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
んで、なんでそんな頭悪いことを言えばキマるのかって聞いたら、「だって実際ウケるんだもん」って言うわけなんで、マスコミ人は日本国民の民度が低いと思ってあんなことをやっているんだし、それでウケるってことは実際に民度が低いってことなんですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
頭悪いニュースコンテンツが何故頭悪いかって言うと、「安全神話の崩壊」ってジャーゴンを口にしたり問題視すると「ジャーナリズムっぽくて何かキマる」って謂うくっだらねー段取り芝居で「面白い娯楽」をでっち上げて数字獲ってるからですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
「だが、待ってほしい」的な前振りで語られる安っぽい居酒屋談義。それに居酒屋でクダまいてるようなやっすい料簡のオヤジが「そうだそうだ」って同意することでやっすいニュースショーの娯楽が完結する。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
報道は受ける場合もあれば受けない場合もある。商売だから受けないと困る。ならばウケを得られやすいエンタメの手法を用いればいい。報道の形とは違うけれど、受けるのが優先するからそれで良い。
それが行われてしまうのは、ウケるのは「民度が低い」との指摘はあるけれど、これはまったくの正解というわけでもなく、もっと深い所にある、人が持つ業というか弱みを突かれれば、誰でも反応を示してしまうってのが多分にある。以前も触れたけど、グレーゾーン的なものであり、そこを積極的に突いた方が得をするって状況が続くと、皆がそれに続くため、結局全体が(グレーゾーンに明確な仕切り分けをされて)損をすることになってしまう。
「居酒屋談義」とはよくぞいったもので、はじめからその看板を呈して「その類の話ですよ」と第三者に公知した上での展開なら、あまり文句は言われまい。問題なのはそれを「専門家の解説」「報道番組」として、あるいは容易にそうだと誤認させてしまうようなスタイルで展開し、錯誤を与えているからに他ならない。
某所でのニュース記事に対する「専門家」のコメントでも、結構この類の「解説」が多くて頭を抱えるところではある。読者が求めているのは記事に対する補助的な、理解をより深くできるような情報、解説であり、「専門家」の主張やら想いを語る場では無い、みたいな。雑談を好むような場所はそこじゃない。
@tk2193 運営側に非があれば当然鬼のように叩かれるし、非がなくても叩かれるとなれば合理的な解法がないわけで、鉄壁の防衛網を構築することで内向きに納得するしかなくなるわけですよ。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
非合理な非難を受けても反論出来ない立場の者って、徹底的に防衛的に立ち回って非難される原因となる事象を未然に予防するしかないと謂う受けの姿勢になる。そのように立ち回っても結果は大して変わらないとしても、納得と誇りは守ることが出来る。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
新幹線の件だってあんな想定外の狂気の沙汰が起こっても、言い方悪いがあの程度の被害で済んだわけでしょう。それは被害を受けた人にしてみれば腹立つかもしれないけど、人為で可能な限界まで被害を抑え込めたってことが、一朝事あらば一方的に叩かれる立場の人々にとっては誇りの根拠となるんだよね。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
それは鉄道マンだって電力マンだって同じことなんだよね。何かあったら、それがどんな不可抗力でも無責任な人々に無責任に非難されっぱなしの立場なわけで、そんな立場に立たされたら一番考えなければいけないのは職務に対する誇りをどうやって維持するかでしょう。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 7月 3
今件の新幹線の件も含め、居酒屋談義的な話で、専門家っぽいコメントで語られる、叩かれる対象の多くは、あまり反撃できない、いわゆる藁人形だったりするのも共通していたりする。公共機関とか公的機関、政府とかね。実際に指摘されるようなことをしているのならまだしも、半ば以上言いがかりな理由によって、叩いて喝采を浴びるためのネタとして、日常生活の維持を支える対象に唾を吐きかけちゃいかんのだよな。
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