刀剣乱舞をきっかけに居合道や抜刀術を習い始める中高生を「ゲームがきっかけなんて」と嘆いたり笑ったりしていたおじさんや爺さん共が居るとのこと。しかしその人達のきっかけは「司馬遼太郎の小説が...」「池波正太郎が...」「吉川英治が...」「藤沢周平が」小説は良くてゲームは駄目だと誰が決めた
— 某古物屋あのじ(微速前進中) (@anojifurumonoya) 2015, 7月 4
この類の話は一次ソースが見つかることは滅多になく、噂話やら伝聞の際に内容が別のものになっていたりとか(始めは作り話・例え話だったのがいつの間にか事実として伝えられたりとかね)が多いんだけど。今件の「居る」が事実か否かはさておき、今後似たような話にリアルで遭遇した際の覚え書き的なものとして。
日本ではゲーム、特にデジタル系のゲームに対する社会的評価が低く、それをしていること自体が軽んじられる、恥ずかしいものとして認識される傾向がある。「大人になってまだゲームなんてやってるの?」ってのは良く見聞きする話。で、他の興味関心趣味趣向に注力する際に、そのきっかけとしてゲームを挙げると、上記の通り軽んじる傾向があるってのは否めない。
ただよく考えてみれば、昔はゲームが無く、今はあった。それだけに過ぎない。今だって小説や映画がきっかけで色々な物事に興味を抱き、趣味を持つ、さらにはそれ以外でも仕事を手掛けるようになる、人生の目標にするって人は山ほどいる。何らかのターニングポイントとなる事象に、これまでの小説や映画にゲームが加わっただけの話。
ぶっちゃけるときっかけなんて何でもいい。対象となる物事に目が留まればそれでOK。何も恥ずかしいものでは無い。それとも何かな。きっかけが違うと、その趣味や目的や人生目標において、何か問題でも生じたりするのかな。しないよね。
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