「本当に大事なことは数値化出来ない」の前に「目の前の数字を大事にすべき」

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先日の誘導ステーションならぬ報道ステーションで、「いちえふ」の竜田氏の生放送でのインタビューがあり、その中で司会が何度となく誘導尋問をしてもしっかりと受け答えた後での観想的な言及。だからこそ重みがさらにずしりと来る次第。

「本当に大事なことは数値化出来ない」。これは一つの事実であることに違いは無い。ただしこれを呈するのには、その前提として、実在する数字を大事にするってのがある。自分の意に沿わない数字を検証もせずに投げ出して(イレギュラーかもしれない、計測ミスかもしれないとのチェックすらせずに)、「本当に大事なことは数値化出来ない。だから数字は優先順位を低めて良い」的な話は、暴論でしかない。

「数値より大切な物がある」。これって「お金じゃ買えないものもある」と同じ軸。それは確かにそうだけど、対象物は果たしてそれに該当するのだろうか? 一般論なら「でもほとんどのものはお金で買えるか代用できるよね。少なくとも状況の改善は図れるし、確率を底上げできるよね」で終わってしまうまでの話。加えて、「お金の存在意義、意味ってご存知?」でトドメがさされる、と。お金やら数字をなんだかもやっとした、忌避すべきものとしてのイメージがあるっぽくて、好きじゃない。

お金、数字って、結局、リソースの体現化したもの。分かりやすくしたもの。それを無視しろ、軽視しろというのは、要するに精神論・感情論でしかなく、その時点で「論議は終了」となってしまう。何しろ感情論は語った側の「感情」が物差しになるので、当事者以外の常識は通用しなくなる。「俺がルールブックだ」みたいなもの。そのような土俵で話を交わしても、通じるはずがない。

人はパンのみにて生きるに非ず。されど人はパン無くしては生きられず。無論ここでの「パン」とは生活維持のために最低限必要な衣食住を意味する。


お金の意義や大切さ、概念的なものっては、指摘の通りカツカツの状態を一度経験しないと分からない人も多いのかもしれない。そしてその状況の時に間違った知識を教え込まれるとえらいことにもなる。ゼロか1かってのは、その方が理解はし易いし、訴える側も簡単だからってのがあるんだろうな。インパクトもあるし。

数字にしてもお金にしても、これまで世間一般に言われていることが、果たして正しいのか。「数字なんて二の次でもっと大切なものは数字化できない」「お金は汚いものだから避けるべき」的な雰囲気は本当なのか。よく考え直すと共に、「本当に大事なことは数値化出来ない」などと声高に語り、目の前の数字を軽視する人からは、一定の距離を置いた方がいいんだろうな。

......何しろそれが通るのなら、例えば「愛社精神は本当に大切だから数字化できない。だから給料が安いという目の前の数字的な話は優先順位を低くし、サービス残業に励め」と言われても文句は言えなくなるのだからね。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年7月11日 09:08に書いた記事です。

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