大手新聞社のご意見曰く「人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる」

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哲学者の柄谷行人(からたにこうじん)さんは以前、3・11後の反原発デモに触れ、「人がデモをする社会」という文章を書いた。人々が主権者である社会は、選挙によってではなく、デモによってもたらされる、と。その流れは枯れることなく今に続く▼国会前に立ちながら、目配せという言葉をふと思い浮かべた。「危ないね」という思いを伝え合う、それぞれの目配せ。このさりげない連帯は強まりこそすれ、と感じる。

新聞社の社説記事は往々にして、相当に権威や経歴はあるけれど、同時に発想的には昔の考えにとらわれてしまった、物知りなんだけど偏屈で、今の常識とはずれている、ちょっとアレな近所のおじさん的な書き手による文面という感が強い。一方で、文字化されて公知されている以上、その掲載内容には新聞社側は全面的に責を負う。それが無ければ報道の、媒体としての存在意義は無い。

そしてその社説の中で、堂々と、第三者の言葉を借りてはいるものの、議会制民主主義を否定し、デモによる社会秩序を肯定している。まるで院内における暴力による対抗勢力への挑戦を肯定した、どこぞの党のトップのようだ。


議会主義、民主主義の根底であり象徴である選挙や議会を否定し、それ以上の権限としてデモの存在を持ち上げる。さまざまな意味で矛盾をはらみ、さらにそれを社会の公器ともいえる、そして事あるたびに文化文化と主張する新聞社が、その社説として堂々と掲載する。少なくとも正常な状態では無いことは一目瞭然ではないのかな。

あるいは「正体見たり」的なものなのかも。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月14日 06:36に書いた記事です。

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