「若者を再び戦場へ送るな」、それを掲げるのはお年寄りばかり

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先日の【「若者を再び戦場へ送るな」の街頭アピールを観て】をはじめ、その他いくつかのニュース映像を観て、ふと思った事。この類のアピール文は印象論的なものが第一で、内容は二の次、三の次。その場で、瞬時に、実物を観た時には吸い込まれるけれど、動画で繰り返し、あるいは静止画で時間を置いて見返すと、素朴な疑問点が浮かんでくることが多い。映画などでも劇場で観た時にはただただすげーってなるけれど、動画で繰り返し視聴してみると、あれ、この部分変じゃない? とかってなるよね。あんな感じ。勢いとかに押し切られて、判断能力が鈍ってしまうんだな。

で、今件の「若者を再び戦場に送るな」でも似たような感覚が。お騒ぎになられている方は大よそ高齢者。そして「若者を」と、対象は若者。なんで若者限定? 中堅層以上なら送ってもいいということ? なぜ「国民」とか「日本人」とか「市民」とか「自衛隊員」とか「私たち」では無く「若者」なの? カードを掲げている自分達は送られないという前提なの?

まぁ、実のところ、「若者」との言葉を用いた方がアピールしやすいし、正義感があるように思われるだろう。また、若者を戦場に云々って表現にすれば、学徒出陣をイメージさせるだろうとの思惑も多分にあるのだろうな。何も知らない若年層にはもやもやとした不安感をあおるし、高齢層には高いアピールポイントになる。

ただ、お年寄りが「若者を再び戦場へ送るな」を掲げた時点で「自分達は送られないこと前提かよ」とツッコミを受けるのは容易に想定ができるはずで。そのツッコミリスクよりも、インパクトを優先してるんだろう。結局のところ、プロモーション活動の一環としたネタであることを、このコピーは語っている......という判断で間違ってはいないんだろうな。

一方で若年層自身が「若者を再び戦場へ送るな」を挙げると、高齢者から強い反発がくるだろうってことまで合わせ考えると、アピールが主に高齢者に向けたものであることも推測できる次第ではある。要はあくまでも傍観者に徹することができる高齢者に向けて、善意を鼓舞できるようなアプローチをしているわけだ。なんだかねえ。若者をダシに使ってるわけだ。

......日中からこんな行動が出来るのは、時間を持て余している層だけだっていうツッコミは無しだよ。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月17日 07:28に書いた記事です。

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