ここ数日「日本は危ないかも」と感じたよ。民主主義における多数決を公然と否定し、国会にデモしにいくような少数派を「多数派」と見なすマスコミが現れたというのはすごい。何度も書いたことがあるけれど、大昔の安保騒動から最近の反原発に至るまでデモする連中の意見は選挙で否定され続けている。
— motoyuki (@motoyuki) 2015, 7月 17
「日本が危ないかも」というよりは、何か変だよな的な雰囲気を覚えたことについては、先日から朝日新聞周りの事例を取り上げて伝えている通り。精神的なタガが外れたというか、なんかなりふり構ってられない的な香りが漂ってくるのは否めない。
まあここ数日の共産党、社民党とデモやってる人たち(マスコミ含む)見てても
・未成年を演説に立たせる
・米国を悪だと協調して批判
・戦意高揚させるようなビラや未成年の過激な主張を持ち上げる
ってやってることが敗戦濃厚な大日本帝国の末期とあんまし変わってないのに驚いてんだけどね。
— 織部ゆたか (@iiduna_yutaka) 2015, 7月 18
なんかのTW「デモ参加はディズニーランドよりこどもへの負担は少ないし」っって負担をかけてまで行く話でもないし、TDLとかテーマパークは混雑や猛暑などのことを踏まえて救護室とか救護体制準備しているし。迷子センターもちゃんとあるよ
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2015, 7月 18
デモがなかなか参加者が伸びないのは、デモでの対象となる法案などに対してNOの意見の人もそのデモには怖くて参加できないというオーラを感じているからだと思う。過度に汚い言葉とかブルドーザーデモとか、そんなの絶対に近づきたくないし。結果、身内の盛り上がりだけのイベントになってるのでわ?
— 翼が折れたきたきつね。もふもふ (@northfox_wind) 2015, 7月 18
@northfox_wind 本人達が意識してるかどうかまではわかりませんけど、あの手のってあくまで身内の結束とか、身内の中でどれだけ目立てるかを競うことを目的としたデモですから。端から外野は眼中にないんですよ。だからこそ、馬鹿馬鹿しくなった人からやめてって先鋭化してくわけです
— 各務原 夕 怒りのデスロード (@nekoguruma) 2015, 7月 18
「世のなかなんてこんなもの」と身も蓋もないことをいって、そこらへんにぽっかり穴をあけて遊ぶっていうのも、なかなか楽しいものだとは思うけれど、大人なんだから、ぽっかりあけた穴には責任もって蓋をしておかなきゃいけない。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 7月 18
まだ「世のなか」を探索中で、自分でそれをどう受け止めようかと模索中の子どもに、いきなり、何十年もかけて凝り固まった自分自身の個人的な恨み言を「こたえ」として渡しちゃうのは、ハライセにしてもやり過ぎな感じがある。
— サイ / 三原卓也 (@rhinoeye) 2015, 7月 18
当方も先日「なぜ若者が」的なツッコミをしたけれど、何処となくおかしな話でもあっても、雰囲気で突っ走っている感が強く、半ば暴走族的な感じがする。それを報道がお化粧してかっこいいように、世の中の最先端を行くように見せているのが、ちょっとアレ。
百歩譲って、引退組の余興としてならともかく、若年層を巻き込んで、というのはね。特に未成年者とか。一部には「参加してもいいじゃん、考え方の自由じゃん」的な意見を述べる有識者もいるけれど。それではあなたは自分の子供をそのようなデモの類に参加させることを良しとするのかしら?
未成年・大学生を煽ってる時点で、私にとっては中身を検討する対象にもならないな。
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 18
ああ言うやり方は気に食わない。
最初に経済と政治でブン殴りあうのが筋だ、武力は単なる政治のカード。
子供の恐怖を煽る必要がどこにある。
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 18
先日の「デモ」に関しては子供を積極的に参加させたり、さらには子供を代理として出した事例もあると伝えられている。最大野党のトップが相次いで院内の暴力を肯定するとか、それを実践するってのがまかり通るから、一部で「ああ、ならば自分達もやってもいいんだ」的な風潮が出来上がってしまうのだろうな。まぁ、百歩譲って、法的に認められた範囲内で、関係の無い第三者が迷惑を被らず、理屈にあった話が語られて行動されるのならともかくとして、ね。
個人的には指摘のある通り、第二次大戦末期のドイツや日本のような状況が想起されるんだけどね、昨今のデモ周りの話や、それを伝える報道側の姿勢は。何を焦っているのだろう。
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