ピケティ本のブームが不発に終わり、安保法制で盛り上がるというのが、今の左派運動を象徴しているように思います。
— 青識亜論 (@dokuninjin_blue) 2015, 7月 19
リフレ政策支持を表明した途端、一瞬で総スルーされるようになったよね。
— うなぎ(steel_eel) (@dancing_eel) 2015, 7月 20
特にピケティ氏がお亡くなりになったわけでもなく、同氏の理論に根本的な欠陥が見つかったわけでもなく、どこかに投獄された話も聞いていない。しかし一時期一大旋風を巻き起こしたピケティ氏の論理は、あっという間に世間から姿を消してしまった。まるでクッキーばばぁみたいな感じ。例のグラスを重ねてトリクルダウン云々を語った後に「それはないない」的な話に持ってきたのも、ほぼ同時期に消えてしまった。
ピケティ氏の論理、主張は結構複雑なところがあり、しっかりした学問体系を学ぶとなると数センチの厚みの書籍を読み通す必要があった。まぁ、そこで端折って美味しい所取りをして、どちらかといえば現在の経済状況・施策を叩く材料として使われたわけだけれど、ピケティ氏がリフレ政策の支持を表明した途端に、「ああ、これは材料として使えないわー」的な態度をとるようになったってのが正解らしい。まぁ、当事者一人一人に聞くわけにもいかないし、聞いても答えてくれるはずもないけどね。
「ピケティ貧富でちゅう」
『大いに賛同する』『大々的に広めよう』『読むべし』
「ピケティリフレでちゅう」
『』『』『』
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 20
......要はネタとして、ツールとしてのみ考えていて、中身を理解しようとか、良いものだから広めようって気はさらさらなかった、と。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 20
薄っぺらい、イメージ的なものだけでツールとして使う、まさにプロモーション的な使い方しかしないから、「ツールとして利用」する方々の話には重みも厚みも感じられないのですよね。猫だましを連発しているような。映画の予告編だけを観せられているような。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 20
まぁザックリとまとめるとこんな感じかな。ピケティ氏もその論理も、多くの人は内容に共感したのではなく、バッシングツールとして使いやすそうだから使われたまでの話。海外からの新しいスタイルのように見える論理で、しかも叩き用ツールとして非常にすぐれているように見える。そこで使おうとしたら、持つ人自身にも刃を向けるようになったので、慌てて手を放した。そんな感じ。
一番の被害者はピケティ氏自身なんだろうな。
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