息子が小学生の時に実験とか魚の解剖が好きで、そういうのを体験させてくれる所に月1で通っていたんだけど、息子のお友達がそういうの大好きだからやりたい!と言うので紹介してあげたら、ご両親が「勉強とは直接関係ないから無駄だと思って。うちは塾行かせます」と。その子はえらく落胆してた。
— みお (@miomiopyon) 2015, 7月 19
そして高3の今、先日その子のお母さんに会ったら「うちの子、何にも興味沸かないしやる気ないし、ほんと情けない。嫌になる」と愚痴を言ってらした。小学生の時はあんなに好奇心旺盛でいろんな事に挑戦したがる子だったのにね。
— みお (@miomiopyon) 2015, 7月 19
実験や魚の解剖が「勉強と直接関係ない」という世界観に驚く。理系大学の多くはそんなことばっかりやるわけだが。親にとってなんとなく好ましくないものに「勉強と関係ないから」とレッテル貼って排除してるのかなあ
— アニ (@gorotaku) 2015, 7月 21
子供の教育はケースバイケースで、しかも保護者のポリシーやら信念やらがあるので、これが正しい、間違いとの確定を行うわけにはいかないのだけれど。同時に「もし自分がこんな立場の子供だったらどうだったのだろうか」と思うと胸が痛くなるってパターンも少なくない。何しろ子供の時間は一度きり。後になって悔やんでやり直したくても、できるものではない。
当方はといえば実験は大好きだったけれど、生物の取扱いは極度に苦手で、親からも「医者になるのは無理だ」とせせら笑われたことは覚えている。魚介類を食べるのが苦手、肉類も生系はダメってのも、それが遠因なのかも。
それはともかくとして。子供の好奇心ってのはそれぞれの個性に端を発するものだから、むやみやたらと親の基準でざっくりと切り取ってしまったり摘んでしまうと、個性そのものが損なわれてしまいかねない。確かに親の目から見れば魚の解剖は受験にはでてこないし、野蛮に見えるかもしれない。しかしそれだけの理由で排除してしまうと、どのような事態になるのか。良い一例という気はする。あくまでも一例であって、これがテンプレってわけではないけれど。むしろ今件は、親側の思慮というか情報領域が狭かったような気がする。
ああ、無関係だと決め付けなさるならどうぞご自由に。
「好き放題やれる環境を選んで育った結果」の私としてはそういわざるを得ない。
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 21
たまにいるんですよね、「どうやったら優秀な子供に育ちますか」という何十にも間違った質問するお人が^^;
1.優秀な「こども」を目指すな。優秀な「大人」を目指せ
2.つか、「優秀」の定義って何
3.「自分にとって役立つ人材」の意味であるなら、そんなもんあてにするだけ無駄
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 21
続き)
4.「一見すると物知り」な人になってほしいなら、子供を抑制するな
5. 育つとたいてい、期待した方向とは全く違う人材になってたりするのだから諦めとけ
周り見ててもそんな感じですから。
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 21
あのての質問の趣旨は「私は自分に不愉快な思いを一切することなく、上位5%にはみ出た誰からも羨ましがられる息子がほしい。おまえは秘訣を知っているに違いないからタダで全部教えやがれ」なんですが...
・それは私の親に聞け
・ただし、うんざりするほど苦労話が出てくるぞ
なんですよね。
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 21
ついでに、「私はせいぜい上位20%の人間だから、これの育て方程度が分からんあなたには5%の子供を育てるのはさらに無理じゃないのか。ついでに、部分的に下位20%の存在だがそれ耐えられんのか」という突っ込みもあるんですが、これ遠まわしに指摘するとたいていキレますw
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 21
たいしてやらかしもしないのに実験道具の貸出禁止になったりするよーなのがスタンダード・レベル。上級者はさらに自分で工夫して爆発の浪漫を楽しむのが子供である。
親が苦労しないわけもない。
が、ああいう知識って妙なところでお役立ちなので、やっとくべき経験ではあると思う。
— KGN (@KGN_works) 2015, 7月 21
以前どこかで触れたかな。教育ってのはいわば長期投資のようなもので、結果が見出しにくいし、これをやれば必ず成功するって方程式も存在しない。だから人は得てして、目に見えやすい結果が得られるもの、子供の教育ならば数字で比較ができるテストの成績を基準にしてしまう。短期間に成果が出るものを選んでしまう。その方が、親にとっては安心ができるから。
ゲームのクリアや優位性を欲するがために裏技的な話を聞きたがるってのは、子育てにおいても同様ではあるのだけど、得てして「優秀な子供」を親は求めていたりする。違うよね、必要なのは「優秀な大人」になることだよね。「子供」とした時点で、子供のためではなく、その子供を持つ親自身のためであることが暴露されてしまう。
そして「優秀」ってなんだろう、という定義づけの問題になる。親の言うことを聞く存在? 博士や大臣? それとも単に親自身が周囲に自慢できるような人物? いずれも子供の事が主眼としておかれていないよね。
子供は大人のおもちゃでもリモコンでもコピーでもない。人の道を外さないように、一般常識と良識を習得させるのと共に、子供の個性を見出し、それを守って育てることこそが、本当の親らしい親の姿ではないかな、と思うのは当方だけかしら。
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