<首相訪中>中国が新提案 日程、戦勝式典以外でも(毎日新聞) - Yahoo!ニュース http://t.co/ruUN0zhENX
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 23
先日もちょいとばかり触れたけれど、新聞(記者)の憶測や要望を、専門家や読み手、市民一般の観測的な感じで表記して、さらにそれをさも事実であるかのような形で報道するというスタイルがある。昔からこのタイプの記事は存在していたのかもしれないけれど、昨今では特に目立つ形となった。一次ソースがすぐに確認できるからなのか、新聞記者側の執筆・取材スキルが落ちて「報道」の質的内容が劣化しているのか、それとも元々だったのが暴露されるようになっただけの話なのか。
いずれにしても(恐らくはその双方だというのが当方の考え)、今件記事についても首を傾げざるを得ない、書き手側の思惑・願望を事実にもりもりと肉付けしたような内容。個人的感想や論評ならともかく、報道ではこれはいただけない。オピニオンでは無くプレスなのだから。これが、もしかするとWAIWAI論法というものなのかッ。
「みられる」「思惑がある」「模様だ」「可能性がある」。今件の記事だけでも、これだけの不確定な意味を持つ言い回しが用いられている。新聞社の意向が多分に混じり、一次ソースの明示ができない解説記事は、信頼ができない時代なんだよね、今は。社側の意図を「報道」として伝えるのはあまりよろしくないのではないかな。
昔ならば相応の信頼が寄せられ、それに応えるだけの記事を提供していたのだろう。しかし相次ぐ不祥事の露呈とそれにも関わらず改善されないどころかますます悪化する信頼性、そして一次ソースを直接読者が確認して実態を精査出来るようになった昨今は、「一次ソースの開示ができない情報は、創作されたものと見られても仕方がない」時代に違いなく。これまでのように「ソースを開示できないけれど、こんな話を関係者から聞いたんだよ」的なものは、与太話以上の確証度が無いものとして認識されても仕方がない。
「それじゃ報道として成り立たない面も出てきてしまう」。その意見は良くわかる。与太話的な確証度でも良い場合ならともかく。でも、そうなってしまった責は新聞やテレビ局自身にある。一次ソース開示の無い情報は、悪質系まとめサイトと同程度の信頼性しかない。その事実をわきまえないと、状況はさらに進展するのみなんだけどな。
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