ところで、最近の日本の新聞にうんざりしていることは、さんざんツィートしてきたが、とくにひでーなと思っているのは投書欄。てめえの新聞の論調に合わせた投書を選んで載せて、みんながそうだ、そうだと喝采してくれるとでも思っているのだろうか。(続)
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2015, 7月 26
(承前)たまに異論が載ると、翌日か、翌々日に、それに対する反論が並べられる。これって、プロパガンダでしかないですよね? (続)
— 赤城毅 (@akagitsuyoshi) 2015, 7月 26
新聞の投稿欄の話。同じく新聞の「社説」同様、昨今色々な意味でスポットライトが当てられている。これって結局、インターネット上に情報がアップロードされて蓄積され、検索でいつでも過去のものを再精査できるようになった面が大きいんじゃないかな。本格的に精査するとなると、下手すりゃ論文の1本や2本できるようなテーマとなるのだろうけど、読者投稿欄を色々と好き勝手「操作」していたのは、今に限った話ではないと思う。社説がアレなのも昔から、かな......?
以前例え話で挙げたと思うけど、囲碁セットの碁石の中から、意図的に黒ばかりを抽出してずらりと並べ、「この囲碁セットには黒の碁石しかない」と主張することはできる。発想としてはそんな感じで、新聞社、あるいは編集担当者の都合の良い投稿が抽出されている感は否めないというもの。
まぁ、新聞社特有の性向的なものがあり、それに合致している読者が新聞を読み、投稿するのだから、ある程度偏りは生じるだろうけど。例えば鉄道関係の雑誌の投稿欄に、UFOの話やらダイエットの話は投稿されないだろうし、当然投稿記事として採用されるのも滅多にないだろうけど。ただ、どこぞの機関紙ならともかく、普通の新聞にはそこまでの方よりは無いはずなんだけどな。
読者の声ってのは要するに世間一般の声としてこんなものがあるよ、的な紹介になる。ただそこで奇妙な論評が続いていると、こんなことを本当に話している人が多数派なのかと頭に疑問符を浮かべてしまう。
プロパガンダ......というよりは世論誘導的なものに近い気はする。日本人の場合は特に、周囲の動きに気を使い、追随したがるから。ネット上のアンケートの類にしても、自主投票型のはその意図が強い。皆がこう思うから、あなたもこう思いなさいよ的な無言のプレシャーがかかってくる。実際には投稿したい人による投稿なので、「世間全般の傾向」ではないのだけどね。
冒頭で触れた通り、紙媒体なら日々消費されるので、下手すりゃ前日の分も忘れてしまい、単に傾向的なものが少しずつ刻まれていくだけ。でもネットでは後でざっくりと読み返せるし、比較検証もできる。すると、「あれ? おかしいよね」ってことで、これまでに行われていたトリックに気が付くことになる。
あとはアレだな。確かめるすべはないのだけど、「それは本当に読者の投稿のテキストですか」というもの。読者を語って編集内部で......って可能性はゼロじゃない。それを疑ってしまうほど、今の報道には信頼が欠けている。これは仕方のない話ではあるんだよね。
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