2009年の新型インフルエンザの国内流行の際にも良く使われた言葉ですが、高齢者、病症者、子供は体力や免疫力の観点で一般成人と比べて抵抗力が弱く、環境の変化などでリスクを体現化しやすいことから、「ハイリスク者」と呼ばれています。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 7月 27
先日の【子供は大人が思っている以上に熱中症リスクは高い、その理由は......】でも触れている、政治的意図・思惑の強い集会・集まりにおいて子供を積極的に参加させようとする動き。「大人も子供も」とのアピールをしたいのであろうし、世間の注目・同情を引かせるとの思惑・意図もゼロとはいえまい。一方で行われている環境を見るに、多分な負荷が子供にかかっているのには違いなく、いたたまれなさもあり、前回あのような記事を書いた。
当方宛に直接ではないけれど、このような「大人の事情に子供を巻き込んでリスクを負わせるべきじゃない」「大人の事情云々はともかく子供に多分に負荷が生じているのは良くない」とする指摘に対し、「デモに参加するのは個々の自由」「子供がやりたいといったから」「普段は見て見ぬふりをして、集団行動への反対意思を語るために子供のリスクを悪用している。子供を盾にしている」という、良くわからないツッコミがあったので。
上記や先の記事の通り、高齢者や病症者、そして子供は体力や免疫力の観点で、一般の成人と比べると抵抗力に劣っている。そして環境の変化ではダメージを受ける可能性が高くなる。それらの人達を「ハイリスク者」と呼んでいる。
当方がこの概念を知ったのは、2009年の新型インフルエンザの国内流行が生じて、色々とワクチン周りや回避の手立てを勉強した時。自分自身も病症者の範ちゅうでハイリスク者に該当しているから、自分自身のことのように、どころか自分自身のためでもあり、色々と調べ、学ぶようになった。大人目線・健常者目線で考えていると分からないこと、勘違いしてしまうことが山ほどある。
だから、半ば以上大人のエゴのために子供がつき合わされ、リスクにさらされる状況を情報として知って、その上で何の反応も示さないのは、自分自身の事が思い出されてしまい、ツッコミをせざるを得なくなった。しかもあのような環境下での子供の熱中症リスクなどは、先の記事にある通り、少しでも知識があれば、調べてみれば分かること。それを承知か、あるいは無知の上でリスクにさらし、さらにそれを指摘すると「子供の安全を盾にした、子供の悪用だ」と逆切れで非難をしてくる。
ちなみに以前も何度か解説しているけれど、子供にとって親は絶対神。自我が完全に構築されて経済的な自立がかなうまでは、親の言うことは基本的に守らねばならないとの呪縛にとらわれている。それが生物として一番の安全策だから。だから、その親が言う「子供が来たいといったから」という言葉も、多分に子供自身の意志では無く、親の思惑が働いているんだよね。自分が子供だったころを思い出してみれば、そのあたりはすぐに理解できるはずなんだけどな。
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