テレビ上の出来事は演出だからとはあるのだけど

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先日の27時間連続放送の某番組での車の事案がトリガー的なものとなっている話。どのみちテレビの番組内でのことだから、気にするまでもないんじゃないといった意見もあったけれど、それが例えば地方局で視聴者が数千人程度のものならまだしも、全国ネット局で視聴する人が万単位でいて、しかも相応に知られている人が登場し行動をしており、リアルタイムで大きく「これはフェイクです」的なものが無い以上、視聴者には多分に印象深い行動に見えてしまう。さらに指摘の通り、他人の行動を意図的に、あるいは深層心理部分で無意識のうちになぞらえるやからも出てくる。


現実のものとして見てしまう、そんな浅はかな人がいる。それで済めば、対象となる行動が自己完結するのなら、多分に自己責任となるから、あまり心配はいらない。問題なのは他の第三者にも影響が及ぶような話の場合。今件の自動車事案もその類でもある。

さらには構成されたコンテンツが暗にアピールしたいと思っていることを間違って解釈したり、あるいは個々が創生してしまうこともある。テレビなどのメディアを通した疑似体験が自分の体験と融合し、それを事実として学んで認識してしまう。実際に自分がリアルで体験したことであろうが、映像を介して見た番組であろうが、経験そのものには違いないからだ。

これはアニメにしても漫画にしても変わらない。媒体上で表現されたものは、何らかの影響力がある。表現の自由は当然認められるに違いなく、侵害されてはいけない権利でもあるのだけど、ね。自由を行使する場合は同時に責務を果たさねばならない。自由な行動の結果生じる影響には、相応の対応が求められるってことだ。

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このページは、不破雷蔵が2015年7月29日 07:43に書いた記事です。

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