他人の感想を参考にすることと、他人の感想に自分の想いがのっとられることと

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直接の言及は避けるけれど、先日某映画の公開前に某有名な映画評論家がボロカスな評価をしたところ、作り手側がキレてその話が暴露されてちょっとした騒動になった件がトリガー。現時点ではその某映画評論家は公開前の該当映画を観る機会は無かったとのことで、エア試写会の評論か、という疑惑まで出てきている。で、その評論家の経歴やこれまでの評価を見返すと、どうもこれまでにもネット上などで色々と物議をかもし、観賞前の人達にネガティブな印象を刻み込むことで有名な人のようだ。

辛口、との表現を用いればまだ紳士的だけど、実質的にはイエロージャーナリズム、炎上商法的なところがあるように見える。で、ネット上の伝聞情報としては、そのような話の方が浸透しやすいこともあり、評価を受けている、みたいな。

そんな話もあって、映画......に限らす創生作品に関して、世評なり著名な評論家の意見としてポジティブなものがあれば、実際にはつまらないと判断していても、追随して面白いと語ってしまうことがある、あるいはそういう人がいる。指摘では主体性が無いとの表現だけど、あるいは「多数の意見と思われる方向性に反した自分の感性をバッシングされるのが怖い」との面もあるかもしれない。


確かに、一般的に評価されている作品について「おや?」と思い否定的な部分を評論すると叩かれるのが怖いな、と思ってしまうし、皆が否定している作品に関して「これ面白いじゃん」というと、石をぶつけられるかもしれない。

そして自分の好き嫌いを第三者に公知してどうするってのも言われてみればそんな気はする。ただ、口コミ論的な話になるのだけど、人って良いものは第三者に知らしめて自分と同じ好感を受けてほしいと思うし、ヤバいものは避けるべきと伝えたくなるんだよね。映画に限らず。

だから商売としての語りの場合は別として、映画などの作品の好き嫌いの語りは仕方がないし、だからこそ自分の感性を自由に発しても良いと思う。他人の意見を気にすることは無いし、分かり易そうに見えるからといって、声高の評論家の意見に追随する必要もないと思うのだな。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月 1日 06:56に書いた記事です。

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