8/2読売新聞「安全保障法制 語る」にわが師匠である大石眞先生がご登場。Yomiuri Onlineで見つからなかったので、友人がUPしていた記事の写真を拝借したものです。 pic.twitter.com/O35chspl98
— 稲葉 実香 (@inabamikarin) 2015, 8月 4
「我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう。」さまざまな声明や一部の憲法学者の方々の運動に対して感じていた違和感は、まさにこれです。大石先生とは政治的な考えは違いますが、こうした姿勢には大きな影響を受けました。
— 稲葉 実香 (@inabamikarin) 2015, 8月 4
震災後の放射線周りの話や、昨今の安保法案関連で突如桁違いに沸いてきた感の強い「学者」的なものの権限に係わる話。先行記事でも似たような話をしているし、類似事案は何度となく触れてはいるのだけど、学者は基本的に自分自身の分野に関する一家言は有していても、その刀を他方面に振りかざしてはいけない。専用のコースでのみ走る事を義務付けられているF1カーが公道で走ったり、狩猟地域でのみ許可されている猟銃を市街でぶっ放すようなもの。
放射線周りではそれっぽい方面の肩書を持つ(良く調べるとその方面ですらつまみ者的な扱いの場合もある)人達が、その領域を超えて人々を煽動し、ふところを温めている。安保法案絡みでもこれまで何も仕事をしてこなかったと突っ込まれても仕方のない学者先生諸氏の少なからずが、突然よみがえったゾンビのような躍動感と共に、政治的活動を相次ぎ行っている。先行記事に挙げたように、一次ソースも読まずに煽動内容に惑わされて声を挙げる、各方面の方々が相次いでいる。
研究者にも、それぞれ政治的な思想はあって当然です。けれど、あくまで一国民としてのそれを、「憲法学者」としての肩書で発言することは、市民の皆さんに「専門家が言ってるんだから正しい、逆らってはいけない」という印象を与えてしまいかねない。それはまさに研究者の範囲を踏み外す行為でしょう。
— 稲葉 実香 (@inabamikarin) 2015, 8月 4
政治運動をされている研究者の方々は、そこに無自覚なのでしょうか、それとも自分は研究者だから、専門家としての正しい政治的意見を市民の皆さんに広めなければならないのだという信念からやってらっしゃるのでしょうか。
— 稲葉 実香 (@inabamikarin) 2015, 8月 4
「我々憲法学者は、政権へのスタンスでものを言ってはいけない。そこを誤れば、学者や研究者の範囲を踏み外してしまう」
あたいが聞きたかったのって、これにつきる。本当は安保法制を違憲とする学者から聞きたかったけどね
— 各務原 夕 怒りのデスロード (@nekoguruma) 2015, 8月 5
無自覚なのか、あるいは意識を持った上での行動なのか。どちらにしても考慮が浅いというか迂闊な感は否めない。状況が終わった後、自分達の評価がどのようなものになるのか、考えてみたことはあるのだろうか。そこには該当学問の専門家という肩書は半ば剥げ落ち、政治策謀に翻弄され、自らの専門分野ですら武器として用いる活動家......と認識されても仕方がない経歴が残るというのに。あるいはそのような状況にすら、酔っているのかもしれない。マッカーシー政策に反対した文化人たちと同じような立ち位置に、自分達があると誤認しているのだろうか。
あとこれね。https://t.co/0nDJvirsPL 「専門家が思想を持つのは自由。でも、その思想に影響されて自分の専門分野で嘘をついたり誤魔化しをするようになったら、もう専門家としてはおしまいですよ。それはもうただの害悪」 嘘や誤魔化しに「感情に左右された意思決定」追加。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 4月 18
何度となく言及しているけれど、結局これなんだよねえ。先の震災以降、これに該当する「専門家」がどれだけ暴露されたことやら。
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