商売は「商品:3 売り:7」と言われます。われわれマンガ家はこれまでずっと、商売全体の3分である「商品」のクオリティを上げることだけを考えればよかったわけです。他のことはすべて出版社や編集者がやってくれました。これからは残りの7分の部分のこともしっかり考えることが必要になります。
— 田中ユタカ TanakaYutaka (@tanakayutak) 2015, 8月 6
「売る」という作業の実態は、華々しいものでなく、「いつか一発大ヒット」の対極にある、非常に面倒くさく、手間と忍耐の作業です。 慣れないことなのではありますが、他の中小企業や独立自営業のかたはみんな汗を流してやっていることです。「甘えていられないななあ」と自らを叱咤する次第です。
— 田中ユタカ TanakaYutaka (@tanakayutak) 2015, 8月 6
先日、インターネットを使って展示会と即売会的なものを独自に披露展開するのが容易になった云々って話をした。確かに不特定多数の人に自分の作品を見てもらうこと次第は、とてもハードルが低くなったことに違いは無い。その為の場も多数設けられている。
ただそれが、ビジネスとして成り立つか否かとの点ではまた別の話。今件の話の直前に、別の方による「単行本の第二巻は出なくなった。第一巻の売れ行きが芳しくないので。他社での発刊も模索したが反応は良くない。やはり第一巻が売れていないから。作品は現在掲載紙から引き引き上げて云々」というものがあったので、多分にそれを受けての話もかもしれない。
指摘の通り、これまでは商業誌でのデビューに至るまでが非常に難しく、一度ラインに乗れば、それなりに高い可能性でセールスが期待できたし、作品制作以外の部分は担当なり企業が結構頑張ってくれた。技能の底上げも手を引っ張ってくれた。まぁ担当の質が悪いと以下略ってのもあるけど。
ただ先日の鈴木みそ先生の電子書籍の話などでも触れたように、雑誌社などが漫画家を育てる余裕は無くなっているのが実情。自分自身の修練や、作品のセールスプロモーションまでも、多分に自分自身でこなす必要が出てくるようになった。ものすごい雑な例えになるけれど、これまでが日本風の大学だったのが(受験は大変、合格すれば後はある程度楽ができる)、今後は海外の大学(入学は容易、合格しても大変なまま)になったという感じかな。
売るってのはすごく難しい話で、テンプレ的なものは無い。近いものはあるけれど、その多くは売る人が一番もうける、ギャンブルにおける胴元のようなオチが待っている感じ。そして発芽率の低い種の種まきとか、研究開発投資みたいな感じでもある。ギャンブル、というとちょっと違うけどね。蒔いても芽が出る、美味しい果実が成るとは限らない。でも種はまかなきゃ生えてこない。
これからのマンガ家志望のかたは、マンガ作品のクオリティを上げることだけでなく、「どうやってマンガで食べていくのか?」をも真剣に考えることが必要になります。過去の成功モデルは有効でないと考えたほうがいいです。想像力を使って考える。「どうやってマンガで食べていく?」
— 田中ユタカ TanakaYutaka (@tanakayutak) 2015, 8月 6
「自分はどんな作家になりたいのか?この世の中で何が出来るのか?何がしたいのか?どうやって稼ぐ?」 昔のマンガ家成功物語を、いまからなぞることは状況的に極めて困難です。歴史は動いています。だけど、「最初の何者か」になる可能性とフィールドは豊かに在ります。いまこそ、在ります。
— 田中ユタカ TanakaYutaka (@tanakayutak) 2015, 8月 6
これまでの「売れる」も「売れない」も、安定した出版ビジネスモデルの枠内での、いわば「内輪」のお話だった。そんなふうに僕も含めたマンガ商売で食べている者の感覚は変わってくるでしょう。非出版の企業や人がどんどん参加してきています。枠の外側からの視点も意識出来ることが大切になりそう。
— 田中ユタカ TanakaYutaka (@tanakayutak) 2015, 8月 6
漫画家界隈は特にそうではあるんだけど、それに限らず、クリエイティブ系の創り手は多かれ少なかれ、こんな環境下に置かれていると思う。その原因の多分にあるのが、恐らくはインターネット。利用ハードルが低いコミュニケーションツールは、それほどまでに社会環境を変えていく。
あれかなあ、オーバーな気がするけど、大航海時代みたいな感じなのかもしれないな。だからこそこれまで以上に自分を磨いて実力をつける事は大切だし、コーディネーター、プロモーター的な立場の人が活躍する時代なのかもしれない。
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