出先なのでリンク貼れませんが、1977年放送のNHK特集「日本の戦後」で取り上げられていましたね。 RT @gnewscom: 「日本の分割統治計画」という話 http://t.co/cnSiASpeTE
— sat (@satontwitt) 2015, 8月 7
NHK特集 日本の戦後(1977年) http://t.co/g5yM7i36e5 pic.twitter.com/nmtVD4nKch
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 8月 7
終戦記念日が近いから、そして今年は先日伊402っぽい残骸が見つかったとか、くだんの安保法案で色々と煽動している筋があるからなのか、太平洋戦争からその後の日本史・世界史に絡んだ話が色々と出てくる。先日【「日本の分割統治計画」という話】であげた、日本の戦後における分割統治案についても、個人的にもやっとした部分はあったのだけど、掲載後に色々と情報をいただいたり、それをトリガーに調べてみると、ある程度まとまった形になったので、ここで覚え書きとして。
Wikipediaで一次ソース的に挙げられていたNHKの番組について、こんな話があり、調べてみたらアーカイブとして局自身が残していることが判明。しかも動画も確認できるので、くだんの分割の図案がそのまま目視できた。うほー、これか。
でもテレビ番組が一次ソースとしては弱いんだよね。こんな番組があった、という事自体ならともかく。
.@Fuwarin Google Booksで見れました...
『日本分割占領案』地図のソース、JWPC385/1について
http://t.co/QzcXiqyDsB
— betelgeuse (@betelgeuse) 2015, 8月 7
Allied Occupation of Japan - 96 ページ https://t.co/W55BEx6rVD pic.twitter.com/ybhT9YwTVq
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アメリカ合衆国統合参謀本部統合戦争計画委員会・日本分割占領計画案(JWPC 385-1)と。
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ということで極めて有益な情報をいただいた。一次ソースとなる公文書の具体的なナンバーや、オープンソース化されている情報があり、それは日本語の解説書・論文(竹前栄治『占領戦後史』)を英訳したものだという話。
ただ、「占領戦後史」そのものも論文であって、一次ソースの公文書そのものでは無いのが、まだちょっと弱い。そこで、公文書名の具体的なナンバーを確認できたので、ウェブ上のデータベースで探してみたけれど、公文書自身は確認できず。探す場所が悪かったのか、ネット上には公開されていないのか。ただ、複数の、日本語だけでなく英語や中国語、ドイツ語などでも同様の公文書の表記や解説があり、内容も同一のものであったことから、公文書自身が存在し、そのような内容であることは、ほぼ特定できた。実物は確認できなかったので100%確実ではないけれど。
またその中で、興味深い話も。
①戦後日韓関係の展開―冷戦、ナショナリズム、リーダーシップの相互作用―
http://t.co/OrOlylqbAT
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②朝鮮半島の分割は日本が分割を免れたことと対をなす結果であった。当初、米国は対日占領政策を構想する過程で連合国による分割共同占領と直接統治の方案を深刻に考慮していた。1945 年8月8日、マッカーサー司令部のブラックリスト作戦は日本に対する直接統治を念頭においたものであり、
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③統合戦争計画委員会(JWPC)の日本領土に対する最終的占領案である政策文書385/1は分割占領案を勧告していた。8月16日、スターリンは北海道北部に対するソ連の占領を要求した。しかし8月18日、トルーマン大統領は、スターリンの要求を拒否し、
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④分割占領を回避することを勧告する国務省案であるSWNCC70/5を承認した。8月22日、トルーマン大統領はSWNCC150/3 を承認し、統治方式において日本政府を介した間接統治方式を最終的に承認した。
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⑤その代わり、朝鮮においては米ソによる分割占領と南朝鮮における米国の直接統治方式が適用された。日本における単独占領・間接統治と朝鮮における分割占領・直接統治はセットになっていた。
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1-8 トルーマン「日本の敗北後における本土占領軍の国家的構成」(SWNCC決定)を承認 1945年8月18日 http://t.co/XA0e5YMFg6
「最終的に、日本本土の占領は米占領軍が主力となり、分割占領が回避された。」
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(これ、ルーズベルトが太平洋戦争終結前に亡くなってトルーマン副大統領が昇格したからの結果であって、仮にルーズベルトが終戦まで職務を遂行し続けていたら、この分割案が通っていた可能性もありますねえ......。少なくともソ連の割譲案あたりは。非常に微妙な状況だったっぽい。
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要は分割統治案である政策文書385/1は回避され、一括統治案が採択されたわけだけど、これは多分に「当時」の大統領、トルーマン氏の意向によるところが大きい。で、そのトルーマン氏は反共的ベクトルの思考を持つ一方、前大統領のルーズベルト氏はどちらかといえば親共の傾向が強かった。もしルーズベルト氏が大戦中存命で、日本統治案の最終決定時まで明確な意思決定判断能力を有していたら、分割統治案のJWPC 385-1や、北海道の北半分のソ連への割譲話も実際に十分有り得たともいえる。
その場合、日本はどうなっていたんだろうな......と思うと、背筋がぞっとする。分割統治案でなく一括統治案を採択したアメリカにはあらためて感謝すると共に、ルーズベルトでなくトルーマンによる意思決定がなされたことの運の良さを改めて認識する良い機会ではある。
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