色々な歴史の可能性が見えてくる...「日本の分割統治計画」という話・後日談

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終戦記念日が近いから、そして今年は先日伊402っぽい残骸が見つかったとか、くだんの安保法案で色々と煽動している筋があるからなのか、太平洋戦争からその後の日本史・世界史に絡んだ話が色々と出てくる。先日【「日本の分割統治計画」という話】であげた、日本の戦後における分割統治案についても、個人的にもやっとした部分はあったのだけど、掲載後に色々と情報をいただいたり、それをトリガーに調べてみると、ある程度まとまった形になったので、ここで覚え書きとして。

Wikipediaで一次ソース的に挙げられていたNHKの番組について、こんな話があり、調べてみたらアーカイブとして局自身が残していることが判明。しかも動画も確認できるので、くだんの分割の図案がそのまま目視できた。うほー、これか。

でもテレビ番組が一次ソースとしては弱いんだよね。こんな番組があった、という事自体ならともかく。


ということで極めて有益な情報をいただいた。一次ソースとなる公文書の具体的なナンバーや、オープンソース化されている情報があり、それは日本語の解説書・論文(竹前栄治『占領戦後史』)を英訳したものだという話。

ただ、「占領戦後史」そのものも論文であって、一次ソースの公文書そのものでは無いのが、まだちょっと弱い。そこで、公文書名の具体的なナンバーを確認できたので、ウェブ上のデータベースで探してみたけれど、公文書自身は確認できず。探す場所が悪かったのか、ネット上には公開されていないのか。ただ、複数の、日本語だけでなく英語や中国語、ドイツ語などでも同様の公文書の表記や解説があり、内容も同一のものであったことから、公文書自身が存在し、そのような内容であることは、ほぼ特定できた。実物は確認できなかったので100%確実ではないけれど。

またその中で、興味深い話も。


要は分割統治案である政策文書385/1は回避され、一括統治案が採択されたわけだけど、これは多分に「当時」の大統領、トルーマン氏の意向によるところが大きい。で、そのトルーマン氏は反共的ベクトルの思考を持つ一方、前大統領のルーズベルト氏はどちらかといえば親共の傾向が強かった。もしルーズベルト氏が大戦中存命で、日本統治案の最終決定時まで明確な意思決定判断能力を有していたら、分割統治案のJWPC 385-1や、北海道の北半分のソ連への割譲話も実際に十分有り得たともいえる。

その場合、日本はどうなっていたんだろうな......と思うと、背筋がぞっとする。分割統治案でなく一括統治案を採択したアメリカにはあらためて感謝すると共に、ルーズベルトでなくトルーマンによる意思決定がなされたことの運の良さを改めて認識する良い機会ではある。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月 8日 08:15に書いた記事です。

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