本当の幸せはお金で買えない~ みたいな風潮が20年ぐらい前にあったけど、お金で買える幸せの方が圧倒的に多いし生きる上で必要な物なんだよね。本当の幸せとやらは、普通の幸せをある程度以上既に獲得している幸せな人の特権なのよ。
— 及川みのり (@oikawaminori) 2015, 8月 9
生きる為に必要な大概の欲望がお金で満たされちゃうと、お金で買えないナニカはもっと幸せちゃうんかって欲が生まれるんですよ(笑)。
— knt(黒猫亭) (@chronekotei) 2015, 8月 9
20年前云々ってわけではなくて今でも一定の割合で存在する「本当の幸せはお金では買えない論」。この類の概念論というのは得てして「二分法の罠」「言葉の定義」の2つを再確認することで、大体理解納得ができる仕組みになっている。
まずは「二分法の罠」。世の中には二つの選択肢、YesかNoしかないという考え方はシンプルで分かりやすいけれど、それがすべてに当てはまるわけでなく、むしろ少数派、あるいはごく一部分の領域のみの話。「本当の幸せ」はお金で買えるものもあるし、買えないものもある。ケースバイケースで二者択一ってわけではない。
そして「本当の幸せ」ってなんだろう、「お金」の定義は、と考える。幸せの定義はひとそれぞれ。不安で無い、不幸でないこととか、満ち足りた気分になることとか、なにも余計なことを考えていない瞬間とか、不自由のない状態とか。実に多様な状況。また「お金」は、「本当の幸せはお金では買えない」の論評においては多分に「下賤なもの」との認識による部分が多いように見受けられるけれど、実際にはさまざまなサービスや物品、さらには時間や技術の代替ツール。そのツールを自分の幸せを具象化するために用いるのなら、まさに「お金で幸せ」は買えることになる。
直接買えないものもある? でも多くの場合、間接的に幸せを支えることはできる。病気の無い日々を暮したいならば、治療や予防に多くのリソースを割ける。好きな研究をずっとしていたいのなら、お金があれば生活費をまかなうために好まない仕事をする必要は無くなる。
加えて。指摘にもある通り、ある程度幸せの兌換が可能な金銭を一定分量で所有してしまうと、幸せの底値が上がってしまうのも事実。お金ですぐに手に入るものは大よそ充当できたので、その部分はもうあたりまえのものとなり、ちょっと手が届かなかったものを幸せだと認識するようになる。名誉とか権力とかね。お金持ちの人や、一山当てた人が政治や権力、芸術方面に茶々を入れるようになるのも、その方向性。
まぁ、自分の生活における幸せの充当が確保できたら、他人に影響力をもたらしたいとか、歴史に名を刻みたいという欲が出てきて、その欲を満たすことが幸せだと思うようになるってのもあるんだろうな。
要は「人の欲は尽きぬところを知らない」。「銀と金」で語られていた、100億手に入ったらどうするかって話と同じかな。
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