体一つで個人で出来る専門技能で、それで生計立ててる人に一日掛かる作業すると大体三万、という大雑把な相場観は共有されてほしい。(カラーイラストとか、モデリングとか、コード書くのも)
— 絵麻さんを養って幸せな家庭を築く (@izm) 2015, 8月 8
@izm もちろん、ディスカウントがあったり、技能に応じて倍払えもあるんですが、例えば1日掛かる作業を一万円で、というとマクドナルドでポテト揚げるのと同じ水準だと言うことを念頭に置いていただけると、うれしいなー。
— 絵麻さんを養って幸せな家庭を築く (@izm) 2015, 8月 8
例えば立体模型を構築したり、立派な小屋を建てるなと、物理的な完成品がある場合には、相応の対価を要求されても当然との認識多分にあるけれど、物理的な実品が無かったり、見た目が小さかったりすると、評価そのものが低い、あるいは評価は高くても対価が思いっきり安く設定されてしまう事がある。
もちろん単なる人月やこれまでの経験だけで商品価値を決めたのでは、それを受け取る側の需要に応えていないとの意見もある。こだわり過ぎて色々盛りこんだら100万円の自転車が出来たけど、消費者が求めているのは3万円の自転車なんだよ、みたいな感じ。
ただ、形のあるものにせよ無いものにせよ、何かを創生する時には相応の直接・間接、さらには積み重ねによるコストが生じる。さらにリスク勘案もある。その辺りを考慮せずに買いたたこうとすると、まぁ、これまでのデフレ時代ではそれでも創り手側は涙をのまねばならないことも少なからずあったけれど、今後はそうも行かない気がする。
無論情報そのものの周知やマッチングシステムの普及で、より一層買い叩きができる、進行する場面もある。ただその場合、その手法で買い叩いた商品が本当に求めていた内容のもの、品質のものかは疑問視せざるを得ない。そもそも論としてモノを調達して対価を支払ったってことは、その対価を創り手側に投資したようなものだからね。まともな質のものを創り上げる創り手を育てなければ、先は見えてこないし、そんな場からは創り手は逃げてしまうだろう。
論文って一本あたり数千円とかで買うものなんだぜー。大学生や院生なら学校の図書館を通して(だいたい)読み放題だ! ここだけはほんと学生時代に戻りたい。
— いとしいさかな (@pfishp) 2015, 8月 10
「同人誌なんてあんな薄い本が500円とか1000円とかおかしい」って言う人がいるけど、学術論文は数ページでも3000円とか5000円とかなので、ページ数だけで値段を計算するのがどれだけナンセンスか分かろうというものである。
— いとしいさかな (@pfishp) 2015, 8月 10
状況は多少異なるかもしれないけれど、同人誌も似たようなものかな(厳密には頒布だけど)。無論、中には創り手側も多分に自覚した上でのぼったくりってのもあるのだろうけど、指摘の通り多分には、額相応だと見て良い。むしろ安い方かな。市販の雑誌と比べて絶対額が高めなのは、量産されているか否かの問題。そりゃ同人誌だって数万部単位で一度に刷り、しかもそれがほぼ一度に売れるのが見込めるのなら、そしてリスクを背負える体力があるのなら、一般雑誌と同じ位のページ・単価になってもおかしくはない。
日本ももう少し、創作物、物理的形の無いモノへの対価のそろばん勘定をまともなものにしてほしいよねえ。それにしては中身の無い権威への崇拝的な動きは結構あるんだけどな。要は権威主義ってことなのかしらね。
コメントする