勉強をなぜするのか親に訊いたときに、コップを指して「国語なら『透明なコップに入った濁ったお茶』、算数なら『200mlのコップに半分以下残っているお茶』、社会なら『中国産のコップに入った静岡産のお茶』と色々な視点が持てる。多様な視点や価値観は心を自由にする」というようなことを返され
— レ点 (@8jouhan_ns) 2015, 8月 15
勉強することで得られる達成感を実感できれば、あとは勉強自身が楽しくなってくるのだけど、教科や環境、好き嫌いによっては勉強が苦痛どころか苦行レベルでしかないことも少なくない。またなかなか成果がでなかったり、逆にヘマをやらかしたりする経験が積み重なると、何で自分は勉強する必要があるんだろうかと自問自答に陥ることもある。また「こんなの勉強しなくても生きていけるじゃん」みたいな話も。
そういう自問自答モードに陥った、あるいは勉強の意義を見失ったときのアドバイス的な言及として、なるほど感を覚えたのが今指摘。コップの水を見て「半分も入っている、残っている」と読むのか「もう半分しかない、残っていない」と見るかで、ポジティブな考え方かネガティブ化云々ってのは以前触れたけれど、それの多用面版というところかな。「同定」の考え方にも似てるよね。
表現方法や価値観の多様性ってのは、これも以前触れた記憶があるんだけど、ロールプレイングゲームの職業や武具に例えても良い。勉強は他の職業に転職する資格を得たり、スキルを取得するようなもの。剣士とか魔法使いとか弓師とか。どの職業がベストかはまだ分からないけれど、勉強に励むことで職業やスキルの選択肢が増えてくるという次第。試験で良い点を取ると、人生の選択肢が増えるというご褒美がもらえる......って話も以前した記憶がある。
自分がどんな行動に長けているのか、どのような技能を秘めているのかは、やってみなけりゃ分から無いことが多い。そして自分がその時点で好きな事と、実際には得意だった事が一致するとは限らない。勉強をして選択肢を増やして、多面性を得ることができれば、それだけ心は豊かになり、自由な見方ができるようになる。
まあ実のところそれすらもケースバイケースで、子供のころから特定分野の英才教育をした方が良いってこともあるんだろうけど。それは終わってみなけりゃ分からないからね。
個人的感想を加えるなら、多様性・多面性は思考の多元性を生み出す機会をもたらしてくれる。特定分野で難しい問題も、別分野の仕組みや発想を取り入れると、さくっと解決するなんてこともある。その時に、広く浅くの知識があれば、きっかけを得ることができるんだな、これが。
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