盗用疑惑指摘のトートバッグ、佐野研二郎さん「スタッフが第三者のデザインをトレース」と認める - ねとらぼ http://t.co/XsXHtYTsHh @itm_nlabさんから
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 8月 15
先日から話題に登っている有名デザイナーによるデザイン盗取問題。疑惑対象側から「スタッフがやらかした」との公式ステートメントが出たけれど、色々な意味で悪手に違いない。自分自身はやってないから一義的責任は無い、とのつもりなのかもしれないけれど、これは逆にいえばこれまでの仕事の多分において、まともな管理をしてこなかったこと、本人自身の技術レベルの問題など、多様な点で疑惑が呈されてしまう。まぁ、クリエイティブな話にせよそうでないにせよ、「部下がやったこと」までは仕方ないにしても、「だから自分自身や自分が所属する場には一義的責任が無い」的なニュアンスの見解を出したらアウト。少なくとも痛い腹だの痛くない腹をこれからも探られることに違いは無い。
今件もスタッフがコピペ......的なものをしたとして、その時点で悪いこと、やっちゃいけないことなどの認識が無かったのか否かとなると、まぁ今後の聴取次第だけれど、色々な可能性が出てくる。で、これに合わせてではないけれど、こんな話があり、ちょいと考えさせられた。
大量のレポートを採点しているとどうしても「悪意のない剽窃」が混じる。ほとんどの教員がこの同じ悩みを抱えているのはどう考えても馬鹿らしいので、もう「学術的文章における文献参照・引用の作法」という授業を作って初年度前期必修科目にすべきではないか。
— KOMIYA Tomone (@frroots) 2015, 8月 15
悪意があるのはいいんです。容赦なく落とせばいいだけだから。他方悪意がないやつには「書き方を教えていなかった」という教育者側の責任問題が多少なりとも生じるので、この責任が個々の教員の科目に分散してしまうのがとても非合理的。制度化によって対処すべき。
— KOMIYA Tomone (@frroots) 2015, 8月 15
剽窃は研究者がやったら研究者生命を絶たれるくらいの大問題なのに、大学教育の場で試験におけるカンニングに比べてレポートにおける剽窃への制度的対処があまりに整っていなさすぎると思う。
— KOMIYA Tomone (@frroots) 2015, 8月 15
文献参照・引用の作法は、既存の研究と自分の見解を区別し、既存の研究の知見に自分が何を付け加えるのかを明確にするためのものなので、その作法への親しみは学問的思考そのものへの親しみでもある。初年度でしっかり叩き込んでおくだけの価値があると思うけどな。
— KOMIYA Tomone (@frroots) 2015, 8月 15
@frroots 大変よくできたテキストがあります.http://t.co/doLW3635Zn
— 重田 光雄 (@mojohandblues) 2015, 8月 15
悪質なパクツイ、集客というよりは注目を集めたくてコンテンツの盗用や捏造を繰り替えす、掲示板やツイッター上でのパクラーな人達の反応を見聞きしていると、多分に悪意そのものが存在しないと考えられる対応をしている場面に出くわす。自分が面白ければといったものをはじめ、自らの目的を果たせればよいという自己中心的な意図は誰にでもあるのだけど、その判断の際に評価がされる罪悪感が無い、あるいはそもそも学んでいない可能性がある。知らない、とでも表現すべきか。
統計を取っていない、まぁ状況的にとれるような事案でも無いので、今件が特殊事例の可能性はあるけれど、先日の某大学でのレポートに係わる話も合わせ考えると、イレギュラーで突発的で極めてまれで、という状況でもないようだ。学術的文章に限らず、引用や盗取・剽窃に関する問題、論理的体系を、教育の中に取り込んで教え諭す必要があるのかもしれない。いや、あるんだろう。人のモノをとってはいけません、お店からお金を払わずに商品を持ち出したら泥棒です、人の家に勝手に入らない、といったレベルの常識ではあるのだけど、指摘されてみれば確かにその辺りの話をしっかりと教えられる機会はあるのだろうか。
最後に挙げられている「博士論文と著作権」はテキストとしては良くできている内容。大学生レベルの学力を持ち合わせている人は、ぜひ一度目を通してほしい。
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