創作物に触れたときの純な感想と、知識を持った上での感想と

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これは同じ分野の作品に携わっている経験があったり、研究などをしていると良くある話。例えば趣味のレベルでも実業でも構わないけれど漫画を描いていたり文筆をしていると、他人の商業的な漫画を読んだり論説に目を通す時、創り手側の事情を推し量ってしまったり、関連するルールが頭の中で筋道を創ってしまう。ゲーム制作に携わっていると、他のゲームをプレイする時も「運用側はこの部分で色々と手を講じている」「この項目がこんな処理をしているけど、実のところは云々」って感じで。

内部的な観点で物事を観るのもまた楽しい体感の仕方ではあるけれど、その分普通の人の印象的なつかみ方が出来なくなっている可能性がある。料理評論家が普通の人のように食事を味わいにくくなるってのもよくあることかも。

「なんとなくおもしろい」「心動かされる」ってのは、さまざまなルールやしきたりや事前設定にとらわれることなく、これまでの自分の経験や知識のすべてを包括した上での、深層心理の部分からの意見であることが多い。あるいは本能が突き動かす感情ってこともあるだろう。上手く言葉で表すことはできないけれど、雰囲気的にいいな、ステキだな、心引かれるな。言葉にし難い感情の部分をないがしろにしてしまうと、理屈でしか作品が評価できなくなる、自分の意志を想起できなくなってしまう。

感情のみでリアクションするのは良くないけれど、理屈のみでの評価も結局のところ、その理屈の領域内での反応でしかなくなる。気を付けないと、下手をすると自分自身の領域を超えた作品への評価が出来なくなってしまうってことなんだろうな。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月17日 06:26に書いた記事です。

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