物事の可視化は色々な価値観をひっくり返したり実態を見せるように

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多分に道化話的なネタであり、鼻で笑われても無理のないものではあるのだけど。数年前にこんな話がインターネット界隈、具体的には掲示板などで語られていたのを思い出す。震災前の話だったので、震災以降は「この震災がきっかけか」との追随的な形で該当するネタ話が掘り起こされたけれど、結局のところは震災もまたトリガーの一つに過ぎず、インターネットという情報の新機軸によるさまざまな情報、物事の可視化こそが、その主要的役割を果たしているのではないかな、と思うようになった。

可視化ってのは単に見えるようになったってだけじゃなく、自由に任意に容易に複製され、手軽に蓄積でき、集約整理ができ、そして検索して過去の情報をできる。それこそ昔は現地周辺に行って過去の言い伝えを調べて昔から住んでいる人の話をまとめて推理し、宝の地図を探し当て、その宝の地図を解読して実際に掘り当てないとお宝に出会えなかったのが、今では自分の端末から情報を探し当てれば良いだけの話。複製内容の精度や、蓄積・整理・検索のノウハウなど、新たな技術も求められるけどね。公開されている衛星写真を駆使して、新たに遺跡が発見されるなんて話は、まさに「未来に生きている」感を覚えさせる。

上で述べている「ネット界隈の戯言のお話」を何度となく聞いた時には、それこそノストラダムスの大予言レベルの心配はしたけれど(まぁ、つまり、その程度のものだと思っていたってこと)、今から考えてみると、ネットの普及による可視化こそが、価値観のちゃぶ台返しのトリガーとなったのかなあ、という気がする。社会的秩序の崩壊云々では無く。再構築、リストラクチャリング、最適化。本来の姿が露呈された上で価値観が創り直されるのだから、都合が悪い人も多いだろうけど、少なくとも世の中全体にとっては悪い話では無い。


「震災以降は」としたけれど、丁度それに合わせてネットの普及が加速化し、スマホが浸透し、ソーシャルメディアが普及したからっての方が大きい気がする。たまたま偶然にしては、ちょっと怖い位のタイミングではあるけれど。

日本では従来型携帯電話が高性能だったこともあり、海外と比べてスマートフォンの普及が遅れてしまった。それを悔やむ声も大きいし、当方もそう思っていたけれど、結果としてこのタイミングで普及し、ソーシャルメディアの浸透と重なったのは、解釈次第では僥倖だったかもしれない。

ともあれ。数年前、仕切り的には震災前後というのが一番わかりやすいのだろうけど、と比べて今は、情報の価値が随分と変わり、一人一人の価値に関して、本質が求められるような状況となりつつある。その傾向は今後も加速していく。「取得情報が増えたのにかえって面倒な結果」には違いないけれど、正しい選択眼を有すれば、より良いもの、化けの皮をかぶっていないものを得られる機会が増えたと考えれば良いまでの話じゃないかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月17日 08:01に書いた記事です。

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