今日もドラッグストアの床で大の字になってギャン泣きの子がおったよ。お母さんが何言っても無駄だったよ。思わずその子に「床冷たくて気持ちいいか?」と聞いたらキョトンとした顔で起きてお母さんの後ろにササッと隠れた。妖怪お節介ババアかもしれんが、周りの声かけで親も子も救われたりするからな
— とも。(きのこ) (@kottyanko) 2015, 8月 16
他人の目を認識した瞬間>RT
— 岩崎つばさ@日西せ12b (@kinoko94) 2015, 8月 16
当方は残念ながら(!?)まだ本当に床の上に大の字になって寝転がり、「買って買って」と駄々をこね泣き叫びながら、手足をバタバタさせるという、漫画的表現をしている情景は見たことが無い。ただスーパーの玩具売り場の前で「買ってぇぇぇ」と泣きながらその場から動かない子供と放置して先に進む保護者、その保護者が視界から消えそうになると泣き続けるんだけど後を追いかけようとする子供的な情景は何度か見かけたことがある。
子供に絡んだ心境については色々な切り口で何度か記事にしているけれど、物事の把握や経験がまだ浅く十分で無いことから、そして思考におけるリソースの上限が限られているので、一つの物事に集中してしまうと他が見えなくなってしまうってのがある。「買って買って」をする時には、恐らく子供のほとんどが、自分は自宅に居て目の前に欲しいものがある、でも勝手に持っていくのは良くない位の認識しかないのだろう。あるいは自分のしている要求行為でリソースがいっぱいいっぱいになり、他に注力することができない状態。メモリの少ないパソコンで、処理の重たいサイトをブラウザで開くと、他のタスクがまったく動かなくなってしまう感じ。
そこで自分の知らない第三者に、現状認識をさせる要素をいきなり与えられたらどうなるか。床の冷たさを確認させられることで、そこが自宅では無く、周囲に他人がいる場所であることを知ってしまう。直接「恥ずかしくない?」と聞くのではなく、まず本人に冷静さを覚えさせるきっかけを作ることで、反発心も抑え込む。指摘の通り、子供は我に返り、他人の目を認識し、自分の行為への陶酔から目覚めてしまう。
「妖怪お節介ババア」と当人は語っているけれど、今件は教育の上では非常にプラスとなったはずだ。一度で対象となる子供が完全に認識したか否かまでは分からないけれど、自分がお店で行った挙動がどのようなものか、一歩引いた観点で認識する経験を得たはず。非常に興味深い話には違いない。
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