個人の体験で導かれる相関関係は因果関係では無い。けど因果関係のように思えてしまうし、自分の一部と誤認してしまう

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件の「戦場ジャーナリスト」などの件でも触れているけれど、実体験は非常に大切な話ではあるし、数量化では表しきれない、人間の深層心理や数字化が難しい部分にまで訴えかける要素が多分にある。本当は科学技術がもっと進めば一部においては数字化できる部分もあるのだろうけど(100年前と今を比べれば、それも理解できるはず)。

でもそれ位現場の体験、個々の経験ってのは影響力が大きいので、それがすべてで自分の一部であるかのような誤解をしてしまう。しかし実際には自分が経験した部分の物語的な世界を見ているのでしかない。その部分の体験は事実だけれど、同じ事が何度となく繰り返されているとの保証はないし、ましてやその他の部分の経験できうる環境・世界が、その体験と同じとは限らない。ラーメン屋のチャーシューメンを一度食べたら美味しかったから「このラーメン屋は美味しい」とするのは間違いで、「先日このラーメン屋のチャーシューメンを食べたけど美味しかったよ」が正解。たまたま良い具材を使ったのかもしれないし、そのラーメン屋の他のメニューは激マズかもしれない。


"「俺が体験したのだから間違いはない(一般的にも合致する)」は圧倒的に正しくない"これは非常に重要。自分が経験した限りでは間違いないけれど、他の人がすべて同じ体験ができるかは分からない。同じ事案が繰り返されても、受取側の心境によって受け取り方は変わってくる。そして同じ事案が繰り返されるとも限らない。一歩引いて、全体像を眺めないといけない。

一方、書籍の場合は中身が汎用化されているので、自分が読んだものと他人が読んだものの中身が違うってのはまずありえないから、その点では現場至上主義よりは有利になる。けれども楽しいか否かはまた別の問題で、価値観の差異があるわけだから、汎用化された書籍を読むのが一番で現場の体験の必要が無いってのも誤り。文字化、数字化できない部分は、よほど書き手が巧みでないと第三者には伝わらない。

まぁ、バランス感覚を持つのが肝要ってことかな。どのような手法にも罠的な魅力がある。それに魂を奪われないように注意しないと。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月18日 07:48に書いた記事です。

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