家事を学問の一体系にするのはどうかという話

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先日の某知事の三角関数周りの話。それ自身はともかくとして(事案としては終了したから)、そこから生じた派生的な話として、家事に対するものの見方に関する一考察。当方の記事でも時々意見として言われているのだけど、「当り前のことが裏付けされるのは嬉しい」って声がある。また口頭伝授とか、一つ一つを何らかのテクニックとして挙げられていたり、あるいはおばあちゃんの知恵袋みたいな書籍に集約されていたり、その類の話は結構あったり、関連する商品を出しているメーカーがその分野における歴史的体系学を公式サイトにまとめていることはある。

けれど学問としての一体系って、あるようで、結構無い気がする。家事に関しては。まぁ家事を仮に学問とした場合、その統括部門に加え、料理、洗濯、育児、掃除などに区分されるし、あるいは家庭菜園の類まで外論として加わるかもしれない。結構面白そうな気がする。電気機器の効率的な使い方云々ってのも、指摘されれば確かにその通り。

一方で、学問として体系化してしまうと、ある論説に対して反対を唱えるものが多分に出てくるだろうし、体系化すること自体が強要したのと同じだと、まとめ上げる事自体に反発をする声も出てくるだろう。下手をすると「国が制約するのか」「利権ガー」とかね。また、家電製品などにおいては、進化が著しいので、体系化を図っている最中にどんどん技術が進んでいって、間に合わないってのがある。例えば従来型携帯電話に関する注意事項や倫理観などをまとめていたら、世の中はスマホがメインになっていたとか、さ。

ただ、やはり、一人暮らし世帯が増えてきたこととか、生活の中にさまざまな手間を省くための用品が浸透してきたこと、簡単なノウハウを知っていればグンと生活そのものが楽になる事案が結構多いことなども合わせ、なんらかの権威付け......というか集約は必要ではないかな、と思う今日この頃。そうでもしないと情報や知恵が散逸してしまいかねないからね。

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このページは、不破雷蔵が2015年8月30日 07:40に書いた記事です。

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