少数意見は尊重されるべき...ではあるが適用を保証すべきとは別のもの

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絶対真実をはじき出すマザーコンピューターみたいなのがあって、それに意志決定のすべてを放り投げる事が出来るのなら、多数少数云々ってのは考える必要もないのだけれど(そしてそのような存在があったとすると、大抵は暴走するか人類の滅亡を結論付ける。基準次第でどうにでもなるということ)。最大多数の最大幸福的な言葉にある通り、昨今の民主主義社会においては、原則的に多数決の意見が適用されることになる。まぁ、物理的・論理的な選択肢があれば、それが優先されることも多々あるけれどね。それはそれで選択すべきであるとの裏付けが存在しているから。

で、その一方で多数決で多分が決まる民主主義では同時に「少数意見の尊重」との前提......というか決まり事みたいなものもある。多数決のみでの決定は、時としてその選択肢で無かった方を切り捨てることになる。暴走を押しとどめる事も難しくなる。少数意見は十分に尊重し、内容を吟味し、あるいは取り込むことも大切。

ではあるのだけど。

「少数意見の尊重」は「少数意見の採用」を意味しない。「少数意見の採用」は「多数派の意見除外」を意味することになりうる。それが正しいとするのなら、最初からわざと少数派になり、多数決が行われた後で「自分達は少数意見だから、少数意見を尊重して採用しろ」とドヤ顔で主張することができてしまう。それがおかしい話であることは一目瞭然。さらにいうと「少数」の定義が成されていないので、極論として、一人の暴案でも「少数意見には違いない」として、それを採用する羽目になる。明らかにおかしい。


事例に挙げられている、昨今の保育園周りの話とかも良い例な気がする。指摘された実情を精査する必要はあるのだろうけど、それが明確な数字化、基準化されたものでなく、感情論だったり「自分はそう思う」的なものであれば、「ご意見承りました。誠にありがとうございます。今後の意思決定判断の際の参考資料とさせていただきます。なお、ご提案の事案が必ずしも適用されることを保証するものではないことを、予めご了承ください」な感じで良いのではないかな、と思ったりする。


「少数による主張」が度を過ぎると、現在の社会システムの否定につながりかねず、また闘争の火ぶたを切ることを意味してしまう。まるで小学生のガキ大将グループによる喧嘩と同じでしかないのだよね。

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このページは、不破雷蔵が2015年9月 1日 07:46に書いた記事です。

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