コンテンツ消費の加速感を覚える時代にクリエイターはどこを向いて歩くべきか

| コメント(0)


これは何度か別の視点で指摘した気がするけれど、情報が容易に取得・検索・蓄積できるようになったことで、情報で構築されうるさまざまなもの、いわゆるコンテンツについて、利用の概念が急速に変化しはじめている感がある。いわゆるファストフード化したような感じ。これまで懐石料理なり、注文してから作り始めるような高級料理店の食事だったのが、注文してから1分で食べることができる牛丼店みたいな感じ。しかもその情報は蓄積できるし、他人に共有するのも容易。結果として、満足感はすぐに得られるけれど、凝縮されすぎて、あっという間に消化してしまう。

このスピード感を覚えているのは、具体的なレベルで無く、何となくもやっとした感じも合わせると、多くの人が認識しているはず。新技術のツールに関する世代間格差が大きくなり、しかもその世代の間の年数が、20年30年とかではなく、10年、下手すると5年、いや2年とか3年位となってしまう。一方で、仕切りのはるかかなたにあった昔の技術が、突然再び脚光をあびることもあるので興味深いのだけど(例えば2Dのドット絵とかね)。

やはりこれって、情報の概念を根本から覆したインターネットの影響が多分にあるんだろうな。


で、興味深いのはこの指摘。全部が全部ってわけではないけれど、確かにその見方もありではあるし、その通りになっている事例も少なくない。要は特定の技能を持つ人による創作物は提供する量が限定されるため、消費が追い付かない。技術の進歩でハードルは下がり、市場を構築する構成人数はどっと増えたけれど、人気を集める、注目される、良質なコンテンツがその構成人数に比例して増えたわけでは無い。無論これまで埋もれるしかなかった、発掘すらされなかった素質が見出される可能性があるので増えてはいるけれど。

例えるなら、ウェブ漫画の世界みたいなものかな。量は加速度的に増えているけれど、継続購読するに値する作品は、市場の拡大量ほどにふえているわけでは無かったりする。10のうち1位が良品だったのが、100のうち2位になった、そんな感じ。

消費が加速化する現在において、コンテンツの創り手はどのような対応をすれば良いのか。まさに消費財(誰もが創れるもの)を作るのか、受注品的なもの(その創り手にしか作れないもの)を作るのか。その二方面に区分されていきそうな気がする。

関連記事             

コメントする

            
Powered by Movable Type 4.27-ja
Garbagenews.com

この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年9月 1日 08:05に書いた記事です。

ひとつ前の記事は「少数意見は尊重されるべき...ではあるが適用を保証すべきとは別のもの」です。

次の記事は「ヒューッ! これはやるかもしれない...プッチンプリンから黒でプレミアムなバージョン登場」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

* * * * * * * * * * * * * *


2021年6月

    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30