うちの父親は「大丈夫?」と聞くと「大丈夫」と答えてぜんぜん大丈夫じゃないことが多い、ある日甥(弟)が「否定するのってエネルギーいるからね、次からは『ダメな感じ?』って聞こうよ」と名案を出した。甥は以前にも「断るのってエネルギーいるよね」と言っていた、そうなんだよね
— 杜★川 (@halusama) 2015, 9月 3
これは指摘されて「はっ」となった話。何かトラブルが生じていそうな状況に遭遇した時、あるいは日頃から何か気にかけている、発現化しそうな状況の際に、その様子を確認するために当事者に「大丈夫か」と尋ねる事がある。これ、オールグリーンか、問題は何もないか、報告すべき状況は発生していないかという意味ではあるんだけど、同時にその言葉を使うことによって、相手に「大丈夫であってほしい」との期待と、その期待から想定されるプレッシャーをも与えてしまう。
何しろ同じ言い回しでも、これが例えば強制労働させられている場所で、看守が労働者に語ったとしたら、どのような解釈ができるだろうか。これは極端だけど、「大丈夫?」の問いには、相手への大丈夫な状態への期待の意図をも伝えてしまうことになるってのは、覚えておいた方が良い。その上で、実情を伝え、大丈夫じゃなくてこの部分が痛い、ちょっと疲れた、休みたい、という具体的な「大丈夫じゃない」ことを説明するってのは、指摘の通り結構エネルギーが必要になる。結果として、本当は報告したい、しなきゃならないことがあるのだけど、無かったことにした方が楽でいいやってことになる。
「ダメな感じ?」という切り口は一つのアイディアとして面白い。ただこれも気を付けないと、ダメじゃなくても良さげな部分までピックアップして「これ、ダメだな」と持ち出してしまう可能性がある。それを望むような場面(例えば健康管理とか)ならそれは望ましいけれど、使い方を誤ると、粗探し的な状況となり、いつまで経っても先に進めない事態が生じてしまう。いわゆる「ゼロリスク論」が発動してしまう。
使い分け、グレーゾーンの判断が難しいところではあるけれど、質問の際にはその言葉の背景にどのような意味が込められているのか、込められてしまうのか、よく考えてから発言しないと、望んだ状況の把握ができなくなることがある。注意が必要だなと再確認した次第。
既に死語となった「だいじょばない」もかなり親しい関係でなきゃつかわなかったですし、こういうケースではつい大丈夫と言ってしまうものなんでしょうね。
弱音を吐いてると思われたくないってのあるし、それで潰れてしまったりとか。
気をつけねばなりません。