徳川吉宗が紀州の大名時代に暴走猪を鉄砲で単身射殺したという話があったと思い、検索して確認したら「不発だったので、鉄砲で殴り殺した」という、斜め上を行く逸話だった
— ut_ken (@ut_ken) 2015, 9月 2
歴史上の人物の逸話は多分に作りもの、特に歴史の上で勝利した人物に関しては後から歴史家らによって盛りが成された可能性があるので、話半分に見聞きする必要があるのだけど。当方も漫画などで吉宗公はやたらと怪力で米俵を複数かついで走り回るようなイメージがあったのだけど、こんな話を聞いたら、斜め上なパワーのイメージが。
「狩りに出た時、手負いの大猪が突っ込んできたところ、鉄砲の台尻で一撃の もと打ちのめした話。将軍になってからも、鷹狩りで逃げる鶴を追って2㎞も全力疾走したあと、高くジャンプして空中の獲物をつかまえた話」http://t.co/YZweUx4AXJ 暴れん坊将軍を地で行く
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 4
当方も元ネタ的なものを探したところ、なんかこんな話が。いやぁ、さすがにこれは吉宗公の威光を盛り上げるための、半ば以上ネタ的な話でしょうとか思えないのだけど。インターネットどころか他人との意志疎通は口頭か、よくて高価な書物程度か瓦版だった江戸時代なら、こんな感じの話が流されれば、裏付け云々ってことをせずに信じてしまうかもしれない。2キロ走ってジャンプして鶴を捕まえるとか、どこのスーパーマリオだよって感じ。
ううん、さっきの話『徳川実記』確認したらとりあえず紀州時代の話としては「大なる野猪走り出てくれば、自ら鉄砲をもって二度撃ったが、猛り怒って近くまで来て、お供の人々も近寄ることが難し中、鉄砲を取直しただ一撃に射殺した。猪は15、6人で運ばれた」とのみある。撲殺したという話の出典は?
— ut_ken (@ut_ken) 2015, 9月 2
とりあえず確認したのはこちらの64コマの部分 http://t.co/xr0T8xXQQ6
— ut_ken (@ut_ken) 2015, 9月 2
http://t.co/kY8QVcJcj2 紀州徳川家の墓所の長保寺のサイトには「吉宗が不発の銃の台尻で殴り殺した」という逸話は掲載されてるのですけど、出典がどうにもわからない。『徳川実記』は二発撃ってまだ暴れる猪を冷静に三発目で仕留めた、どまり。
— ut_ken (@ut_ken) 2015, 9月 2
ただこの話、色々と伝わる過程で内容が誇張されている感が強い。まぁ、インターネットをはじめとした各種情報伝達手段が普及し、人々のコミュニケーションと情報の記録機構が整備された現在でも、わずか数年前の事実について色々と詐称が行われるぐらいだから、これぐらいは仕方がないのかもしれない。まだ「仕留めそこなった鶴をバーニアを装備した吉宗が空を舞いわしづかみにした」とか「手負いとなったイノシシにチョンマゲロケットを見事命中させて仕留めた」という話にならないだけ、良しとすべきだろう(違う)。
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