「民主主義が機能してなくて選挙制度が意味をなしていない」とのTWを目にして。それでは何故それを明言できるのかとTWをさかのぼってみた所、要は自分の想い通りに世の中が動いていないからが理由らしい。せめて「明らかな選挙違反が多発して投票結果が覆されている」とかならまだしも......
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 6
「パチンコでスった。これはインチキだ」「競馬でオケラ街道。何か操作してるに違いない」「宝くじで当たらない。銀行上層部が当たりくじを独占している」......みたいな。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 6
これを例えばノストラダムスの話が好きな中学生が語るのならまだ分かりますが、大の大人が大真面目に語っているとなると。ナルトはラーメンに入れると美味しい。あれ、何か途中からずれた。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 6
先日からちらほらと流れている、一部自称知識人な方々達や、「ボーイスカウトみたいなもんだから文句を言うのは間違っている」と肯定したり「支援している政党をディスると失業した時に支援してもらえなくなるぞ」的な脅しまでかけてくる人達による、タイトル的な話。まぁ、リソースの無駄だと思いつつも色々と調べたりさかのぼって精査すると、大よそこんな結論。要は、思い通りにならない状況がもどかしく、しかしそれを正論で覆すことが困難であるので、破綻した論理展開をさも正しいかのように声高に語ってみたり、良くわからない論理展開が成されている。
ちなみに日本の近辺で独裁が行われているのは、北朝鮮と中華人民共和国。選挙制度の違法性云々ってのは例えば選挙管理委員会なり監査をする人が票をごまかすような事態。少し前に一つ事案が露呈されたけど、その時に有利になるような操作を受けたのは、どこの政党だったかな。
「選挙が正しく機能しなくなった」んじゃなくて、新聞やテレビ等の大衆メディアで選挙を制御できなくなった、というのが正しいんじゃなかろうかと思う。結果、新聞の社説を鵜呑みにしたり新聞に書いたりしてきた層の意見が通らなくなっただけで、選挙システムがおかしいわけではない。
— ちびくろ参謀 (@CSambo) 2015, 9月 7
大衆メディアの世論に頼りきっていた人々からすれば、今の状態は政治から締め出されたような気分なのだろう。
彼らが選挙制度や議会に向ける憎悪は「 モッブは自分を締出した社会と、自分が代表されていない議会を憎んだ」(アーレント『全体主義の起原』)を彷彿とさせる。
— ちびくろ参謀 (@CSambo) 2015, 9月 7
@CSambo ですね。マスコミに乗せられて成立した民主党政権の悪夢が新聞・テレビを盲信していた層を目覚めさせた、と。そう考えると民主党の功績は大きいな(笑)
— M.キューピー (@bruecke1710) 2015, 9月 7
まさに 1200人のジャーナリストなる権威の次は、1万1000人の学者たる権威による意見 http://t.co/ITo0IfymHB が思い起こされる、つながってくる話ですね
https://t.co/qcGWvrLGi4
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 7
.@Fuwarin メディアを通じた自分の意見が通らなくなった人たちには、現状は「 意見を濾過する媒体が存在しなかったために、代表もされず純化もされない意見の混乱状態」(アーレント『革命について』)に感じられるのだと思います。
— ちびくろ参謀 (@CSambo) 2015, 9月 7
@CSambo 自分の好きなおかずが夕食に出なければちゃぶ台をひっくり返せばいいじゃない、的思考ですね。よく言われる、大富豪思考。まぁ、ある意味、悪しき既得権益が減退している状況とも解釈できます。またはご指摘の通り「学生運動時代」に投影しやすい条件がそろっているのでしょう。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 7
確かに「選挙が機能しない」「クーデター」「独裁」ってのは、単独のワードとしては相応にインパクトがある。以前も触れた「徴兵制」とか「戦争」と同じような、プロモーション向けのビッグワード的なもの。ただ概して語られている物事には中身が無い。そして指摘の通り、選挙が機能しなくなったのではなく、選挙は選挙としてむしろ正答に機能するようになった、これまでのような、自らの思惑による世の中のかじ取りが上手くいかなくなったことに、憤りを覚える筋が声を挙げている気がする。
良い例が上でも挙げているけど、2月の【想いの通りにならないと地べたにへばりついて駄々をこねる子供のような...「批判自粛が広がっている」とジャーナリストや知識人が会見】とか7月の【1200人のジャーナリストなる権威の次は、1万1000人の学者たる権威による意見】とか。
「自分達の思惑が世の中に通らない、世の中を動かせない、影響が生じない」ってのは、まさに1960年から70年代の、学生運動時代を想起させるもの。一部の団塊世代前後が過去を懐かしむのも、その状況に重なる部分があるのかもしれない。時代を超えたシンパシーみたいな。
まぁ、市井の人たちにとっては迷惑な話ではある。
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