人生は毎日が区切りみたいなもんだから、常に今が一番と思えばいい

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時の流れは不可逆的で...ってのは先の記事でも触れたけれど、その状況を認識すると、時に絶望的な感に苛まれ、感傷的な気持ちに追いやられることがある。そんな時に未来を笑って迎えられると認識できる作品が「バックトゥザフューチャー」とのこと。ああ、そういえばそんなシーンがあったし、タイムマシンものとしては、その類の描写ってあまりないな(小噺としては最近ちらほら出てるけど。ただし過去回帰のネタ絡みで「2015年ではこれが流行ってる」「今と同じじゃん(過去の人)」みたいな感じ)。

半分水が入ったコップを見て、半分も入っていると考えるのか、半分しか残っていないと見るのかの違いのような感じがある。世の中の風潮で年齢を明確に区切って、ここまでがセーフ、ここからはアウトってのがあり、そのラインを超えると絶望してしまうこともあるけれど、そのしがらみにとらわれる必要は何もない。未来は今から思えばへそが茶を沸かすような状況になっていることもある。


年齢の区切りなんてのはそれこそ1年毎にやってくる。法律やら規則で制限があるのならともかく、人生観において、例えば24歳と25歳との間にどれほどの違いがあるのか。1年でしかない。24歳までがバラ色で、25歳になるとダークサイドってことは論理的にはおかしい。さらにぶっちゃけると生まれてから何日目でカウントすれば、1日単位で仕切り分けが生じることになる。その仕切りでできる事とできない事を自分で決めるのはバカバカしい。それを「普通」とするのなら、それは物事を単純化するための方便でしかない。


まあ実のところ、物事を考えたり、その考え・意志を実行に移す事には、相応の体力やリソースが必要になるので、年齢云々よりもそちらの確保維持の方が大切になる。それらが相応にあれば、それこそ若隠居みたいなことをしても一向に構わないわけだ。「年相応に物事をやりなさい」「もう年なんだからそんなことは止めなさい」という話に関しては、身体的な都合・事情の上でならともかく(例えば上記の例なら、70を超えてトライアスロンを年に10回チャレンジすると言われたら、「歳のことを考えたら、絶対やっちゃだめ」と引き留めるのが相応)、年齢の上での仕切り分けでしかない理由なら、自分の意志を優先しても一向に構わないし、年齢の仕切りわけだけで躊躇するのはもったいないんじゃないかな。

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このページは、不破雷蔵が2015年9月 9日 07:50に書いた記事です。

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