憲法第九条は例えるならば「水戸黄門」の水戸光圀公が持つ印籠

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別ルートで見かけた文言を探して、それが一か月ほど前のツイート内容であることを確認した上でリツイートしたもの。140文字以内での表現なので多分に粗いものではあるけれど、大よそ的を射ている感じはある。精神力や信じるものがあったとしても、それだけでは状況は改善されない。あくまでも可変パラメーターの一つ、変数でしかなく、その大本となる基準値がアウトなら、いくら変数をいじっても結果はダメなものとなる。見方を変えれば、大本、今件ならば物量を一定量揃える事で、初めて優位に立てる。また、物量差がちょっとしたものだけならば、状況を逆転する事も不可能では無い。

今件も同じ事。第九条そのものを毀損しているのではなく、重要で大切なものには違いないけれど、それを絶対信奉の始祖的なものとしてあがめ奉り、絶大な力を持つものとして考えるのは、単なる妄想でしかなくなってしまう。例えば、日本国憲法施行は1947年5月3日、竹島への韓国の侵攻と不法占拠はその後。第九条のみで絶大なパワーを持つのなら、なぜ韓国は竹島へ不当占拠行為を行うことができたのだろうか。


大よそこんな感じ。あるいは物語そのものが別設定になるけれど、昭和時代に入ってから(かつ「水戸黄門」の放送前)同じような一行が同じような行為をしたら、やはり「なにそれ?」と突っ込まれて、悪人に袋叩きにされるのがオチ。

第九条はその長年の施行継続の実歴、そして何よりもそれを裏付けるための各種外交成果や協定、条約があってこそのもの。例えば仮に、モンゴルや台湾、南シナ海の各種諸島を主張する他の国が第九条と同様の憲法を定めたとして、それがあるからと中国の侵攻、敵対行為は止まるだろうか、侵攻を防ぐことはできただろうか。ウクライナは? 中東諸国は? アフリカの内戦地域は? 容易に理解はできるはずだ。

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このページは、不破雷蔵が2015年9月23日 08:09に書いた記事です。

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