これは割と広範囲に適応されるのでは...
役所はあえて教えないけど申請すれば「もらえるお金」「戻ってくるお金」 http://t.co/qbIpQeIUqL pic.twitter.com/bBhW8RUxnB
— 大柴 (@bigshiba1) 2015, 9月 29
「役所はあえて教えないけど」この表現が物凄く悪意に満ちてて嫌らしいのが残念ですけど。
役所はあえて教えないけど 申請すれば「もらえるお金」「戻ってくるお金」税金を取り戻すチャンスはこんなに眠っている(一覧表付き)http://t.co/OgddUU87bR
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 9月 29
以前ちょっと話題に登った子供に係わる給付金でも、その方面の方々かしきりに「官公庁では教えてくれない」「積極的に説明してくれない」として公的機関をディスる形で伝えていたような、各種公的な補助制度や還付制度。そりゃお金はもらえる方が嬉しいし、その仕組みを知らなかったとしたら「そんなの知らなかったヨ......」という思いになるのは誰でも分かる。ただ、その話をするたびに「役所はあえて教えないけど」との冠をつけてバッシングを含めるのには、正直良い気持ちはしない。
この類の制度って結構詳細部分で制限がある場合も多く、一概に全てがサクリと当てはまることはまずありえない。個々のケースに関して該当するか否か、一人一人公的機関が精査していたら、それこそ1日24時間あっても足りない。精査のためには対象人物の内情について、詳しく確認する必要もあるからね。加えて、特定の制度を適用してしまうと、他の制度が併用できないってのも少なくない。
それらについて「隅々まですべて大規模に公知」したら、逆に個々の情報がかすんでしまうのがオチ。例えば選挙時に新聞に折り込まれてくる候補者の詳細の別紙、隅々まで読んでる? 毎年正月に届く、分厚い特別版の新聞の数倍の量が、毎日届くとしたら、それをすべて毎日読み通し、その内容を把握した上で、自分にマッチしたものであるか否かを確認できる??
「そこまで細かい制度を多数作るのが悪い」との意見もあるかもしれない。けれど個々のパターンに対応させ不公平感を減らすには、相応の制度の細分化と多様化が必要で、結果として制度そのものが多数に及ぶことになる。制度が沢山になり、条件も細かい規定が生じるのは、それが求められているから。リソースが無尽蔵に沸いてくるわけではないので、本当に必要な人に向けた制度である必要があるんだね。
まぁ、この類の補助金や助成金に関しては、専門家も山ほどいるから、その類の方に相談するのもアリ。関連書籍も、最近ではウェブサイトも色々と用意されているはず。知識は生活を豊かにする。
結局これって【「説明不足」というマジックワード】で紹介した、「説明不足」というマジックワードの構造と変わりがない。自分が知らないのは説明が足りないからだ、との結論に至ってしまう。例え該当する情報が存在しても、自分が知らない、手が届いていないのは、説明が足りないからだ。そうした方が自分の責も問われず、自らの立ち位置を底上げできる。
その上「役所はあえて教えないけど」の言い回しに関しては、藁人形、叩き返してくることが無く、一方的に叩かれるばかりの対象を叩いて評価を下げることで、相対的に語り手の評価を挙げさせ、語っている内容が有益だと思わせる思惑が多分に見えてくる。「こういったお得情報があるんですよ」で十分な内容にも関わらず、「お役所はあえて教えないけど」と加えることで、さらなる付加価値があるものだと認識させる手法、いやこの場合は手口と表現した方がいいのか、でしかない。
まぁ、仮に。「役所はあえて教えないけど」と語る方々の需要に応えるべく。お役所の窓口で一人一人の来訪客に「●×制度はいかがですか」「×■補助金制度もありますよ」としつこく勧誘して来たり、問いかけに応じたお客に対し、細かい実情を根掘り葉掘り聞き正して書類を提出させ、どのような制度が該当するか精査させるような仕組みを取り入れたら、「役所はあえて教えないけど」なんて話は語られなくなるだろう。ただそのような仕組みを導入するのには、今の数倍の公的リソースが必要になるし、それを望む人はどれだけいるのだろう。
その状況はもしかして、毎日郵便ポストからあふれ出る程のダイレクトメールが詰め込まれ、留守番電話には営業電話が数十件記録され、メールをチェックすると営業スパムメールが百件単位で送り込まれてくる。それとさほど変わらないのかもしれない。
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