いずれにしても、図書の分類というものは、その内容を適切に判断できるものがしないことには、あさっての、妥当性に欠けた分類になってしまうものであり、それが閉架であろうと開架であろうと、誤った分類に基いて排架されてしまったものは、利用者の利便には適さなくなってしまう。
— IMAI Toshiyuki (@imait) 2015, 10月 3
そのために要求されるのが、整理を行う図書館員の見識であり、ゆえに本来なら、任される分野における専門知識が必要となるところである。欧米とかだと、ライブラリアンには、図書館学以外になにかしらの学位なりが要求されてなかったっけ? ゆえに欧州でライブラリアンはエリートなのよ。
— IMAI Toshiyuki (@imait) 2015, 10月 3
まともな司書がいない図書館というのは検索エンジンがないwwwみたいなもので使いようがありませんから
@imait
— 原田 実 (@gishigaku) 2015, 10月 3
昨今、某文化的な名前が付いたC社による図書館業務へのぐだぐださが注目を集めているけれど。図書ってのは要するに情報を紙に集約したものの集合体で、一つ一つは集積回路なり電子ブロックのパーツなり機械部品みたいなもの。それをいかに有効的なものとなるように整理統合するかというのは、図書館で働く人たちの腕の見せ所でもある。
図書館における図書の分類がぐだぐだになると、そこにあるのは単なる本が詰め込まれた魔窟でしかない。コーナー分けされておらず、単に本が本棚にランダムでぶち込まれた本屋を想像すれば、その不便さは容易に理解できるはず。今日発売の新刊、どこにあるんだろう? みたいな。検索エンジンが無いウェブの世界、とは言い得て妙。情報が圧倒的に少なく、サイト間のリンクが超重要だった昔ならともかく、ね(ぶっちゃけると検索エンジンもリンク集みたいなものだから)。
そう、まさしくそのとおりです。まずインデックスをつける「整理」担当の司書があり、そして検索をする「リファレンス」担当の司書がある。それらが機能してはじめて、それは「図書館」といえる施設になるのですから、それらが欠ける施設は、本があっても図書館じゃないです。 @gishigaku
— IMAI Toshiyuki (@imait) 2015, 10月 3
「検索をする「リファレンス」担当の司書」と書いたのは、リファレンスという業務は、あくまでも利用者の求めに応じて適切な資料を提供するのが目的で、利用者に代わって「答」をみつける仕事ではないからです。ライブラリアンは資料を提示するも、自らの考察は示しません。
— IMAI Toshiyuki (@imait) 2015, 10月 3
私は、専門分野においては修士号を修めていて、その上で終了後に図書館学の受講をし、司書の資格を得たのだけれど、最終時給は740円だったかな? そりゃやめるよな! というか、専門図書館において、これくらいの待遇しか得られないというのが、日本の図書館の現状であるわけですよ。
— IMAI Toshiyuki (@imait) 2015, 10月 3
自分の働いていた図書館には、派遣の司書もいたのだけど、よくその人と一緒に、日本における図書館員及び図書館の評価の低さについて話していたよ。図書館なんて暇な司書が好きに本を読みながら時間を潰している、そんな場所だと思われている。それこそ誰でもできる仕事だと思われている。基本だよね。
— IMAI Toshiyuki (@imait) 2015, 10月 3
この類の話を見聞きしていると、昨今文化文化と騒がしさを増しながら軽減税率なり補助制度を求めているテレビや新聞界隈などに関して、その方面の助成金やら税負担の軽減分を、丸ごと図書館の整備充実などの補助に回した方が、よっぽと文化にプラスとなるのでは、と思ったりもする。俗物的なものも文化には違いないけれどリソースが限られている以上、物事は優先順位をもってして考えていくべきではないのかな。
(・x・ ).o0○(検索などによる情報精査や、その集約も同じですよね。悪質系まとめサイトや自称キュレーションに厳しい姿勢を見せるのもそれが要因。一定以上の評価を持っていれば、あんなことは出来ないですから
https://t.co/owuISEccHK
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
(・x・ ).o0○(自分が苦労して調べて仕上げた記事が、主要部分を丸コピーで貼られて、オリジナル部分が殆ど無く、まるでスクラップブックのようなページを、法人が直接、間接的に運営しているのを見つけた時の絶望感ときたら(´・ω・`)
https://t.co/cycpuI2VMU
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
(粗い表現ですが、その類のサイトは、本来制作側が受けられるはずの利益(Benefit、Profit双方の意味で)を横からかすめ取った上でドヤ顔しているのと同義なのですよね。有料動画配信サイトの動画を勝手に再アップして、広告貼りつけて広告収入ゲットだぜ、みたいな感じです)
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
ある意味、米ツイッターに政治献金ボタンができるという話。ならば...... http://t.co/d6fn0M3Ixq のような、少額からの直接かつハードルの低い「お賽銭的システム」が容易に使えるようになれば、ウェブ上のコンテンツ制作側ももう少し楽になるかな、と。生業的に。
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
「パクリ側も同じようなシステムを使うよね」確かにその通り。もっとも、その分損害賠償も容易に、しかも確実にできるようになりますね。「パクリ判定がなされましたのであなたのProfitは原制作者にシフトされました」みたいな。 https://t.co/BfMb523QHT
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
「たとえパクリでも、まとめて編集する際に苦労するジャン! それを無視するのか!?」確かにその通り。で、あなたはコピーした商用誌を冊子に製本し直したり、ウェブに上げる作業で「苦労したから対価を得る権利がある」と主張されるのですか?
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
図書館話で当方が同意する部分が多いのは、元々本好き、図書館好きってのも一因ではあるけれど、情報の集約と精査、検索の便宜性の提供による幅広い層への再活用の機会提供という観点で、自分がやっているあれこれと、非常に近しい部分を覚えるからなのだよね。それゆえに、一連の行為を軽んじたり、利益的なものを横からかすめ取ったり的な行為を見ると、悲しくもなり、怒りに近い感情を覚えるものでもある。
情報の集約精査整理に、もう少し、というか正しい評価が与えられるようになればなあ......と思う今日この頃ではある。
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