割り箸(割箸)とその現状 http://t.co/IQptWpMnyX pic.twitter.com/nRxTtm0nBg
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 3
「割り箸」から日本の林業を考える http://t.co/AyqbDYW7IN pic.twitter.com/0ODj91YyRh
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 4
コラム 割り箸の国内生産について (林野庁) http://t.co/3YlkDU5x4D pic.twitter.com/YZ2UAngt5b
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 4
「ネット上の「割り箸から見た環境問題」という論文に、割り箸の消費量の変化が1998年まで書かれた表があるのだが、それ以降の値を知りたい」 http://t.co/iJXmQFwRxK
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 4
そういえば本家サイトでも以前、中国産の割りばしの輸入制限がかかるようになった話などを何度か取り上げた記憶があるのだけど、結構記憶の中では曖昧な情報がパーツ単位で存在している程度で、あまり実態としては確定的なものが無い。ちまたでちょいとした話題に登っていることもあり、後々経年的なデータとして集約はできないかなということで、その時の精査が楽になるような材料集めを昨日ちょっと行った。
公的、半公的なデータもあるけれど、中途感は否めない。ただ、一次ソースの取得元が明記されているので、時間などのリソースがあれば、最新データを盛り込んだものとして再構築はできそう。あと資料として有名なところは【環境三四郎の資料報告書】あたりかな。
その「マイ箸ブーム」「反割り箸ブーム」はどこに漂着したかというと、中国製割り箸のダンピングによって国内の割り箸産業が壊滅的なダメージを受け、間伐材の行き先がなくなり、里山の間伐が滞り、里山が荒れる、という方向に転げ落ちていった。 https://t.co/N42leiYVO0
— 入門者のための実話怪談【怪決】加藤アズキ (@azukiglg) 2015, 10月 3
@Fuwarin 最近の割り箸は厄介ものの竹が使用されていることが多いですよ(コンビニやほか弁)
— 炒飯山師@たられば定食 (@Rasen_Gun) 2015, 10月 4
「セブン-イレブンでは、お弁当などにつける割り箸の素材を、2006年より白樺から竹に変更しています」 http://t.co/IynvwWCFmQ http://t.co/BxiTnz8bSL (環境・社会貢献の取り組み) pic.twitter.com/ficX3bUaT0
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 4
間伐材割り箸
↓
中国割り箸ダンピング輸入
↓
国内割り箸壊滅
↓
中国割り箸寡占状態
↓
中国割り箸値上げ
↓
「お箸お付けしますか」
「当店はエコのためリサイクル箸を」
「マイ箸ブーム」
タイムテーブル的にはこうだった気がする
@rafcocc
— 入門者のための実話怪談【怪決】加藤アズキ (@azukiglg) 2015, 10月 4
@azukiglg @rafcocc あれ、「輸入」と「壊滅」の間に「マイ箸」だった気が。「間伐材やら端材から作っていたのを丸々一本を砕いたといい始めた」のが壊滅の引き金だった気が。
— 小川靖浩 (@olfey0506) 2015, 10月 4
安い中国産割り箸への反発が、結果的に割高な間伐材箸へのしわ寄せになったわけではあるんだけど、そこらへんは「規模は大したことないじゃないか!」って話に持って行きたがる人もいるから、まあ仕方ない。零細産業だし。
https://t.co/VlHpDb3Zcx
— 入門者のための実話怪談【怪決】加藤アズキ (@azukiglg) 2015, 10月 4
@Fuwarin ぶっちゃけ、現代の林業では、間伐材よりも竹害の原因である竹の処理に頭を悩ませていまして、国産の竹材は使って貰わないと処理に経費が掛かるばっかりで大赤字なのでちょっとでも回収したいそうで。
国産竹材を使ったわりばしは、ぶっちゃけそのまま捨てれば産廃なんで。
— タツコマ※喪中(新盆終わりました) (@tatukoma1987) 2015, 10月 4
ぶっちゃけると割りばし事案に関しては、前世紀末から今世紀頭ぐらいにかけて生じた数々の運動、動きの中で、「意識高き人達」がぐちゃぐちゃにした部分もあるので、時系列的な流れも合わせ、混乱している部分が多い。仮に定期更新の形で精査をするにしても、その辺りはばっさりとのぞいて数字のみでのチェックとなるのかもしれないな。
文化人的な人達による社会運動の類は、往々にして一歩引いて長い目で見ると、あるいは数年たってから振り返ってみると、科学的、経済的、論理的にはまったく正しいものでなく、勢いと振り回す武器とするためのツールでしかなかったことがあるからねえ。割りばしは確かに誰が見ても木に違いなく、それが使い捨てされている状況を見て「一度きりの使い捨て、無駄遣いだ」とアピールすれば、直感的な印象は強いからね(頻度こそ違えど鉛筆も使い捨てな気がするのだけどな。木材の観点では)。
当方はコンビニのお弁当を食さなくなったってのもあるし、大よそ中食で仮に買ってきたとしても自前の箸を使うので、割りばしそのものはほとんど使わず、もらっても台所の引出しで眠ってもらうことになっている。たまに行く松屋などもそういえば割りばしは置かれなくなってるな。改めて割りばしについて、色々と考える時期に来ているのかもしれない。
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