「メロス達は激怒した。揃いも揃って政治が分からぬ」一人一人の自己主張が大きくなると舞台劇ですら改変を余儀なくされる

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友達との約束を守るために必死に王の元に駆け戻るメロスの姿を描いた「走れメロス」。 太宰治の有名なお話ではあるのだけど、それを子供向けの舞台にするというテーマの選択そのものからして、どうなんだろうなあというのはさておくとして。

当然原作では主人公のメロスは一人。主人公であるだけに一番目立つ。それはそれで仕方がない、当然の話なのだけど、昨今では一人のみにスポットライトが当てられる、見方を変えると「自分の子供が主役になれないのは勘弁ならぬ」とする保護者の意見が強まりを見せているようで、物語の改変を余儀なくされる事案を結構見聞きする。「走れメロス」風に表現すると、

「保護者は激怒した。必ず、かの邪智暴虐の教師を糾弾せねばならぬと決意した。保護者には教育が、物語が、秩序が分からぬ。保護者は一介の子供の親である。仕事をし、子供を育んできた。けれども自分の子供が舞台劇で目立てないのには、人一倍に敏感であった」みたいな感じ。

しかしだからといって、メロスを増殖させてどうするのだろう。運動会のかけっこで、ゴール直前で皆が足並みをそろえて全員同時にゴールする事を強要させられるという都市伝説みたいなものもあるけれど。楽しければそれで良い、とする考え方なのかもしれないけれど、根本的に何か間違っている気がする。作者の太宰治が見たら、どんな反応を示すのか見てみたい。


当方の「七人の侍」からの話はまったくの創作だけれど、他の話もどこまで本当なのか、それともネタなのか、判断が難しい(そもそも「ごんぎつね」の主人公って、ごんなのか?)。ただ見方を変えて、子供の舞台劇の素材とし易い童話や昔話に関して、主人公クラスの登場人物を増やした舞台設定、ストーリーラインの構築も面白いかもしれないな。つじつま合わせとか、将来のネタ素材としてホールドしておこう。

たとえばさるかに合戦の場合は、うすやハチやカニなどがそれぞれ複数でサル一匹を...ではいじめの構造になるので、サル側も複数にすると......単なる妖怪大合戦になってしまうな、これ(笑)。

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このページは、不破雷蔵が2015年10月 5日 07:58に書いた記事です。

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