テレビのバラエティ番組でもしっかりとデータの一次ソースを明記すべきだなとの実感

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先行記事【テレビで「オタクはこの10年でカジュアル化した」的内容が語られていたという話】でも多少関わり合いのある話ではあるんだけど。そこで問題視された複数のデータは、結局一次ソースは明記されておらず(出展元が小さく研究所の名前のみ書かれており、具体的な資料名までは書かれていないことに後程気が付いた)、関連キーワードをたどって色々と掘り進め、ようやく一次ソースっぽいものにたどり着いた。

で、テレビ......に限らずだけど(例えば新聞記事でも、明らかに公的機関の公式リリースを一次ソースとしているのに、その情報源をぼかして書いているのって多いよね)、各報道において何らかの資料などを元に分析や構成・情報展開を行う場合、必ずその話の元となった、裏付けとなる一次ソースを明記するべきだと思うんだな。昔ならばテレビは録画されることもなく一過性で、新聞は数週間でまとめて新聞回収行きとなり、ライブラリ化されることは無かったので、そこまで気にする人は無い。まさに一方向性のメディアの特徴の一つ。

でも今は、テレビは画像、動画として保存され、内容が逐次精査される。局側もその概要などをテキスト化して自社サイトに掲載することもある。新聞の記事は多分に自社の公式サイトから配信され、暫くは掲載され続ける。内容によっては不特定多数の手でアーカイブ化され、繰り返し検証される。

ネットの登場で情報の特性が大きく変化した以上、その情報の裏付けとなる資料をしっかりと紐付けする形で明記しないようなメディアは、メディアとしての価値を大きく損なっていると評しても良い。もちろん、情報源を明かせないタイプの情報もあるから、すべては無理だろうけど、たとえば今件の「オタク」の話ならば、情報源を隠す必要はどこにもない。

さらにいえば情報源の明記化は、情報を手にして読み解く人に対し、その信ぴょう性を精査する判断材料になる。自信があるのならしっかりと情報源を公開しアピールすれば良い。必要ならば第三者がその情報源で精査し、情報が正しいか否かを確かめる事ができるように。それができない、したくないのなら、相応の評価を受けるまでの話。

情報が多方向にクロスしてやりとりされ、記録・保全・再精査がされるようになった現在では、これまでと同じような切り口は通用しない......と思うのだけどね。本当の意味での専門家が求められるし、そのような人達こそ、社会的にも経済的にも評価されるような仕組みができてほしいし、世の中になってほしい気はする。

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この記事について

このページは、不破雷蔵が2015年10月10日 07:54に書いた記事です。

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