公共事業と国民給付と後に残るもの

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多分に極端な発想ではあり、細かい部分で「それはどうだろうか」ってのもあるのだけど、マクロ的な発想として基本であるのと同時に、忘れられてしまいがちな話でもあるので、備忘録的なものとして。まぁ公共インフラの場合、新設したらそのままではなくて維持管理になり、新設したものが増えるにつれて管理費用(建て替えへの積み立ても含む)もかさむわけで、新しい領域への公共事業投資と、既存の分野への公共事業投資とは性質が異なるのだけどね。もっともメンテナンスでも相応のリソースは消費するし、その消費の際にさまざまな需要や経済効果が発生するのも覚えておく必要はある。

お金をはじめとするリソースを投入した場合、その投入によって何が生まれるか、カツが入るか、ところてんが数倍にもなって押し出されるか。その辺りは良く考えるべきではある。乗数効果ってやつだね。


これも一概には全て正しいとは言えないけれど、公共事業における国内での包括が可能という利点については、正直目が鱗。まぁ完全にってわけではないけれど。これ、例の円安と円高の関係と色々と絡んでくる。円高だと生産拠点が海外に逃げるので、国内で生産から生じるお金が回らなくなる。円安なら生産拠点が国内に戻るので、活性化する。経済はお金という名前の血液の血流だから。違う、というのなら何故中国が元レートについて過敏になっているのか、説明を願いたい所。

まぁ、最後の部分の弱者云々ってのは再考するところもあるけれど、「貴方も弱者になるよ」との理論武装の部分は、高齢者社会福祉、年金部分でよく使われるものでもあるし、今後色々と多方面で考える際に、思考の素材として覚え留めおきたい。

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このページは、不破雷蔵が2015年10月18日 08:41に書いた記事です。

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