断捨離が流行した時に捨て方のコツを調べたら「これを捨てても同じものを手に入れなおすことができる、という自信があれば捨てられる」というようなことが書いてあって「なるほどなーオタクには無理だ」と納得した これと、同じものは、手に、入らないです、(絶版本の類が並んだ本棚を眺める)
— きぶな (@angelcrown) 2015, 10月 22
まさにこれが、図書館が本を捨ててはいけない理由だな。書籍や雑誌は、一度捨てたら入手不能になる可能性が高い。失われないように保存すること自体が図書館の目的。 https://t.co/LmwRMGPSTH
— 大貫剛 (@ohnuki_tsuyoshi) 2015, 10月 22
これは「断捨離」なる言葉が流行った時期から当方も頭の中でもやもやっとしていた話。最近でも髪型が特徴的な方が媒体で似たようなことを主張し、やはり同じようなツッコミを受けていたけれど、雰囲気的にはさらに前に流行った「ノマド」と同じで、言葉の聴き心地がいいけれど実態としてはごく一部の状況下でしか出来ないもので、とても汎用的なテクニックとは言い難いものなのだろう。ところてん式な資料のやりとりを記した「超整理法」も近しいところがあるかな。
指摘の通り「断捨離」はまた同じものを再取得できるというものをどんどん捨てるって考えることから始まる。見方をかえると、モノに執着しない、汎用性の高いものばかりに囲まれている状況が前提となる。そしてそのモノを必要な時にすぐに調達できるだけの、価値を凝縮して他の形に置換しているお金が多分にあるのが前提。極論的な例えとして、洋服を一回着用する毎に捨てて新しく買い直すから、洋服を入れるタンスは要らないね、的なもの(購入時に着用する服は欠かせないのでひと揃えは必要だけど)。
ただ指摘の通り、金銭的に十分な余裕がある人でないと、そのガイドラインはどんどん変わってくるし、第一お金で容易に手に入らない、一度失うと再取得が困難・不可能なものってのは、特に趣味人においては多分に登る。図書館はその最たるもの。この辺りの概念は先日の【記録、情報の保全の難しさとメディアの特性と、そして手元の「資料」と】に近いかな。失われてしまうと取り戻せない資料は、やはり手元にずっと残しておきたい。
昨今では技術進歩が加速化しており、情報の流通量も相乗的に増加しているため、ほんの数年前の話でも忘れされられ、意図的に書き換えられるリスクが生じている。物持ちが良いことを揶揄する向きもあるけれど、それこそ反「断捨離」って考えも必要じゃないのかな。何しろ汎用的でいつでも再取得できるか否か、大切なものかどうかってのは、その時のみの判断で決まるわけではないのだから。
※追記:
[RT言及]断捨離と聞くと、いつだったか行列で並んでいる時に横聞きしたおばさんたちの世間話を思い出す。要約すると「断捨離なんてする家は成金にはなれても名家にはなれません」「捨てるべきか迷うものは倉にしまっておきなさい。そういうものは子か孫の時代に必ず価値が出ます」
— 楯野恒雪 (@TatenoKousetsu) 2015, 10月 23
なるほどね......。まずは倉を用意しなきゃ(そこからかい)。
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