「財源の話をしよう。すべてはそれからだ」
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 23
子供のうちは欲しいものを「あれ買って」「これほしい」とおねだりするだけで良いのだけど、一人暮らしをはじめるようになると、お金の出し入れ、総合的な家計のやりくりなど、一歩引いた全体像で物事を考える必要が出てくる。ダイヤの宝庫、マリネラ王国のように無尽蔵に沸いてくる収入源があるのなら話は別だけれど。
で、大人なのにもかかわらず、最近その類の話が良く耳に入るようになった。確かにあれをすべきだ何に重点的な予算組込みをすべきだアレへの配分を増やすべきだ、その類の話は対象が良く知られて弱い立場にあるものならば、大いに賛同を得られるだろうし注目も集められるし当人は気高さを覚えられる。
ただ、その増配分のリソースはどこから持ってくるのだろうか。それを考慮せずに単に寄越せと語るのならば、それは子供と変わりはない。あるいは「そういう要望があることを、予算配分を決める時には知っておいてほしい」との願いのみとなる。後者ならば理解はできるのだけど、昨今のその辺りのムーブメントは往々にして前者で、しかもそれを果たさないと悪者扱いされるような強制論を投げかけてくる。配分を増やそうとする動きは正義の味方で、それに答えないのなら悪だ、的な。
その対象の重要性は分かる。でもね、どこからその増加分を持ってくるのかな。最近そんな疑問が高頻度で沸いてくる。どこぞの勢派のように「財源はありまぁす」と主張しておいていざフタを開けたら財務会計的に間違った理論でのそろばん勘定だったり、種もみを食い尽くしてまで寄越せという無理難題的な話だったり。「節約すれば」とタヌキの皮算用をしていたり。
「Balance of the planet」とか「Balance of Power」とか、かつてのコーエーの経営SLGとか、あるいは海外のそれ系のとか、「とにかく金出せ」と語る方々には、一度プレイしてもらった方が良い感がします。 pic.twitter.com/o6cR8i0S89
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 23
「Balance of the planet」とか「Balance of Power」、昔のコーエーから発売されていた数々の経営系シミュレーションの数々。ゲームだからと鼻で笑う人もいるだろうけど、「ゲーム脳」なる言葉が出てきてから、とかくゲーム感覚とか馬鹿にされがちだけど、気軽に数量の把握や配分センスの大切さを学べるのって、非常に効率的。全体的な数量の把握とか、足し引きのバランスの概念って、ホント、大切。それがしっかりと習得できていれば、むやみやたらに寄越せ寄越せと語る筋が、いかに無理難題かが分かる。
結局のところ「お金」はリソースの姿形を変えたもの。「お金で解決できないものもある」は事実だけれど、それは同時に「ほとんどの問題はお金で解決できる」をも意味する。この点を概念レベルで認識することが、とても大切。どれだけの大人が、それを分かっているか......。
EGGプロジェクトで「天下御免」が配信されていた https://t.co/3l4GZwKhfD pic.twitter.com/QTjk55DRgG
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 23
大江戸ルネッサンスはセガサターン(セガがかつて展開していた家庭用ゲーム機)版も出ていました。https://t.co/UB8MPdKtMt pic.twitter.com/SHJnLphdW5
— 不破雷蔵(懐中時計) (@Fuwarin) 2015, 10月 23
前世紀末から今世紀初頭にかけてちょっとしたトレンドになっていた、この辺りのシミュレーションゲームの類。爆発的ヒットはありえ無いのだろうけど、スマートフォン用のアプリなりで展開してほしいよなぁ、と思う今日この頃。お金の概念、全体像としてのリソースの動向の把握を習得できるからね。まぁ、海外のゲームならば上記で挙げたものは大よそフリーウェア化しているんだけどさ。
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